Meakusma Festival 2018

  • 小さなフェスティバルが、エクスペリメンタル界隈に大きな波紋を作り出した。
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  • Meakusmaに参加した人たちは皆共通して、このフェスティバルは他のヨーロッパの音楽フェスティバルとはまるで違うものだと感じている。知名度がそこまで高くないアーティスト達が揃ったラインナップに加え、開催地であるベルギー東部の街・オイペンが持つのんびりとした雰囲気と、リラックスし、積極的に音楽を楽しもうとする程良い人数の参加者達も手伝い、開催中の3日間にわたって、穏やかで親密な空気があった。想像以上に、静かに音楽に向き合い、真剣な音楽的発見が第一に優先される週末を過ごすことができた。 これはもちろん、盛り上がっていなかったという意味ではない。土曜の夜には、メインヴェニューの3フロアがそれぞれ異なるレベルのダンスフロア的エネルギーに満ちていた。まずホールでは、Shackleton、Jon K、Demdike StareのSean Cantyが、的確に配置された、脈動するベースミュージックで会場内を満たしていた。そしてKessellraumでは、Different Fountainsがダイナミックで密度濃く折り重なったライブセットを披露。Vakulaはそれと対照的で、ディスコ、イタロ、それにハイエナジーも少々加えて温かみのあるサウンドをプレイしていたが、全体的にほぼエクスペリメンタルに特化している雰囲気の中ではやや不釣り合いに聞こえてしまった。 Kühlraumでは、Lena Willikensが存在感を発揮していた。この新たなマイクロダンスフロアには、白いカモフラージュネットが芸術的に垂れ下がり、シンプルながらも、ヴェニューと観客の両方に新鮮な印象を与えていた。京都のGoethe-Institutで行われていた自身のレジデンシーに引き続き、彼女がキュレートしたのは、日本で活躍中の才能ある出演者達だった。Compumaのトンネルを突き進むようなテクノによるウォームアップはまさにハイライトであり、また、Rie Lambdollのパンチと抑制の効いたライブでのアプローチも素晴らしかった。YPYによる狂乱のカセットDJセットは、断片化されたテクスチャーから直情的で分散化したビートの渦へと逸脱した。Willikens自身のパフォーマンスでは、テンポを下げた陶酔的なグラインドをプレイし、エキゾチックで力強いトーンを直感的に駆使しながら、朝までダンスフロアを沸かし続けた。
    土曜の夜、週末ということもあって急激に盛り上がったエネルギーは、たっぷりと用意されているより繊細な音楽に対し、上手な気分転換を入れてきたように感じられた。しかし、Meakusmaの共同設立者であるMichael Kreitzと話してみると、土曜の夜にメインの3フロアでダンスミュージックを展開したのはちょっとやり過ぎであり、代わりにライブコンサートのスペースを作るべきだったと打ち明けてくれた。この言葉には、コンサートこそがMeakusmaの核心部分だ、という本フェスティバルの背景にある動機がよく表れている。それがあるからこそ、このフェスティバルは独自のアイデンティティを持っているのだ。 本年度は、従来的なバンドフォーマットでありながら、いわゆるロックからは掛け離れている音楽を意図的により多く増やしていたようだ。土曜の午後、屋外のHinterhof tentでのハイライトは、ウクライナから来た若い女性2人組Chilleraだった。リバーブの中にどっぷり浸かったサーフギターとむき出しのビートで重いダブを披露し、9月の真昼の日差しの中で最高に映えていた。 日曜の夜はノイズロックのBégayerが登場した。まるで南フランスの農場からそのままやって来たような雰囲気の彼らは、今にも壊れてしまいそうな手作りギターで、熱狂的で自由気ままなサウンドを奏でていた。金曜は、イタリアのパーカッショニスト兼プロデューサーのAndrea Belfiまでもが、大胆でロック的なエネルギーを自身のセットに取り入れ、ドラムキットの横に置かれた電子楽器を操作しながらも巧みにリズムをキープしていた。Drums Off Chaosは、まさにメンバーの故Jaki Liebezeitの功績といえるダイナミックなコスミッシェ風のパフォーマンスを披露した。Tomagaは、70年代のオカルト映画『ルシファー・ライジング』に、マルチインストゥルメンタル・ライブでサウンドトラックをつけ、不気味かつ壮大な雰囲気でホールを締めくくった。
    このほかにも、多くの価値あるエレクトロニックのパフォーマンスが行われていた。The Transcendence Orchestra名義で登場したAnthony Child (AKA Surgeon)、Dan Bean、Darren Russelは、白いフード付きガウンを纏ってパワフルなドローンを披露した。堂々たる19世紀の教会を背景に、周囲にゴングやシンセを配し、お香を焚きながら行われたパフォーマンスは、ペイガン(異教)的伝統への興味を感じさせるものだった。 カルチャー面でのイベントとしては、フィールドレコーディングのワークショップや、著名なサウンドレコーディストのChris WatsonとPhillip Sollmann (AKA Efdemin)のトーク、そしてKonrad Sprengerのモジュラーオルガンを使ったインスタレーションなどがあった。Meakusmaの意欲と展望は、この規模のフェスティバルとしては目覚ましいものだが、それ以上に、フェスティバル全体に漂う親近感こそが、こうした見所をリラックスして気取らずに体験するために重要な要素だった。 規模が大きすぎるフェスティバルについては疑問がある。そうしたフェスティバルは、いわゆる人気アクトばかりを揃えることで、自ら奇妙なボトルネック状態に陥っている。Meakusmaがソールドアウトしたという告知はなかったが、これ以上の人数を収容するのは想像するのも難しい。小規模で、コミュニティ的な雰囲気があることがこのフェスティバルにとってプラスの要素になっている。Meakusmaは今年で3回目を迎えたが、常連客の間には家族的な雰囲気が育っていて、こうした密な感覚がヨーロッパで最良の小規模フェスティバルのひとつであることにつながっている。昨年は出演者だったLawrenceが今年、純粋に観客の一人としてやって来ていたことが何よりの証拠だ。他とは全く違う音楽のための週末を、大いに賞賛したい。 Photo credit / Caroline Lessire
RA