Yasuaki Shimizu and Carl Stone in London

  • これまで過小評価されてきた作曲家2人がセンターステージを彩った。
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  • 日曜にLSO St Luke'sで行われたYasuaki Shimizuのパフォーマンスは、彼にとって初のロンドン公演だった。63歳の日本人コンポーザーが演奏した音楽は、殆どが1980年代に発表されたもので、地元日本以外では知られることのないまま数十年を経た楽曲だ。Shimizuの作品へと向けられた、遅れてやって来た賞賛への道は、多くのリイシューによって舗装され、出来上がったものだ。まず、2015年に再々発された『うたかたの日々』は、Shimizuが自身のバンドMariahとして1983年に録音したもので、続いて、衝撃作のソロアルバム『案山子』(1982年)と『Music For Commercials』(1987年)がリイシューされた。これらリイシュー盤は今現在も人気を誇っている。日曜のショーが始まる前にも、会場のSt Luke'sの階下にあるカフェで、誰かがほかの人のテーブルの上に『うたかたの日々』が置かれているのを見かけるなり、物販スタンドの側に歩いていった。その数分後、『案山子』と、今夜のもう一人のパフォーマーであるCarl StoneのLPを小脇に抱えていたのは、Daniel LopatinことOneohtrix Point Neverだった。 アメリカ・カリフォルニアのエクスペリメンタルミュージシャンであるStoneは、現在では日本を拠点としており、この夜のオープニングをそれぞれ異なる3つの作品で飾った。最初の作品”Kikabou”はまさに非常に挑戦的なタイプの作品で、Stoneは自身のラップトップからランダムに曲を選んでは、それを音のレイヤーの上に交互に重ねていくことで、まるで迷子になりそうな効果を演出していた。続く”Ham Ji Park”は、より聴きやすく楽しめる作品だった。曲を始めるなり、オリジナルのサンプル音がまるで、虫眼鏡の中に映し出された小さなおもちゃの兵隊の姿を見るかのように聴こえるようになるまで音をマニピュレートしていた。最後の作品は最も強烈だった。現場にいたクラウドが教えてくれたのだが、この作品名は”Attari”で、Stoneが自身の父親の死から着想を得て造られたものだという。Stoneは、ベトナムの無名な歌曲のヴォーカル部分を使用し、それを様々に異なるバックトラック数曲を使って彩った。曲が始まると、夕日が彼のラップトップをつかの間照らし、いつしか完璧な夕闇の中へと消えていった。 サウンドアーティストのRay Kunimotoと共に登場したShimizuは、首から輝くテナーサックスをぐるりと掛けてステージに現れた。『Music For Commercials』収録曲の”Bridgestone”でオープニングを飾ると、続いて『案山子』の収録曲である”このように詠めり(その二)”、”夢では”など、よりアブストラクトな数曲が続いた。Shimizuの音楽が遊び心と好奇心に溢れたものであることは明白であり、ステージ上での彼の佇まいもそれを証明していた。彼は足でステップを踏んだり、時にサックスの唸りがヴェニューの建物に反響するまでの間を埋めるように叫んだりと、St Luke'sの音響を存分に楽しんでいた。『案山子』のハイライトを飾る曲、”海の上から”の演奏中には、“セミ取りの日”で使われている虫の鳴き声の音を、無線トランスミッターを使って流していた。Shimizuが披露した最後の曲(その後、StoneとKinimotoとのジャムに戻る前)は、『うたかたの日々』収録の“そこから…”だった。オリジナルのドラムパターンとヴォーカルが取り去られたサウンドは、アルバム版とは似ていないものの、その代わりにShimizu本人のテナーサックスの即興によって楽曲をひとつにまとめ、フィナーレに向けて魔法をかけたかのように盛り上げていた。 Photo credit / Mai Shiotani
RA