Antibodies Collective Performance in TPAM 2018

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  • このAntibodies Collectiveという集団の公演へ今回初めて足を運んだきっかけは、DJ/即興演奏家として長年にわたり活動を続けるBingことカジワラトシオ氏が主宰の一人として、ダンサーの東野祥子氏と共に音楽・ダンス・演劇・ビジュアルなどが融合したパフォーマンスを手掛けていると耳にしていたことに加え、横浜の国際舞台芸術ミーティングTPAMのプログラムの中にその名前を見つけたからだった。会場となったのはクリエイティブ施設YCC内のイベントスペースで、「Dugong」という名の演目。エントランスを通ると、まずドーム型の小さな部屋で足止めをくらう。紛争といった言葉を聞き取ることのできる朗読と、壁の向こう側で動めく怪しげなサウンドに意識が錯乱させられ、いったいこれから何が起こるのかとわくわくした感情が込み上げる。導かれるがまま次の部屋へと進むと、明治〜昭和期の衣装に身をまとったアクトや、一見してプロだとわかるダンサーたちが、近未来的なデコレーションや映像、小道具が仕込まれたセットのなかで同時多発的にそれぞれがパフォーマンスしており、観客は自由に誰かの後を追ったり、時として全体の流れに身を委ねることになる。ふと以前にニューヨークで鑑賞した回遊・体験型のショー、Sleep No Moreを想起させた。 メインのフロアに出てまず初めに目を奪われたのは、カジワラトシオ氏が巨大なモジュラーシンセサイザーを操っている姿で、同時にさっきから会場内を巡っているアブストラクトかつ不穏なサウンドが彼によるものだと気付く。その後ろではシルクハットの男性がマイクで声明を朗読し、その兼ね合いがダークで異様な雰囲気を作り上げていた。また、フロアを挟んで反対側には装飾に隠れる形でブースがあり、DJ置石がレコードを使ってサンプル音の断片やノイズを繋いでいる。それらのサウンドを基盤にして、中央のフロアやいくつもある小部屋のあちこちで、戦争の脅威を思わせる黙劇をはじめ、人間の様々な精神世界を描いたストーリーが展開されており、ダンサーやパフォーマーの表情、動き、芝居といった身体表現からは、人の残酷さや歓喜、悲しみ、剽軽さや狂気など、ヒューマニティーへの多角的でエネルギッシュなアプローチを感じた。なかでも後半にフォーカスされていたダンサーの東野祥子とケンジル・ビエンの2人によるパフォーマンスは格別で、見事に音と調和し、聴覚と視覚の交差点を究極に刺激させられた。 そうした音楽家、ダンサー、パフォーマー、映像作家、美術家など、様々なスペシャリストが集まった集合体であるAntibodies Collectiveは、テーマと開催場所に応じて毎回セットを組み、出演者それぞれが各々の表現に挑戦するだけでなく、参加した観客の体験とその影響を含めて、総合的な芸術作品としている。その環境、その場、その瞬間でしか起こり得ない実験を伴ったアートフォームを築き上げているのだ。そうした自覚をもって次また参加することで、さらに楽しめるような、そんなショーであると感じた。 Photo credit / Yoshihiro Arai
RA