Ryuichi Sakamoto in New York

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  • 部屋から人が捌けていく間、立ったままRyuichi Sakamotoの楽器を見詰めていた筆者は、友人が自分の名前を呼んでいるのに気が付き、ロビーに移動して会話を始めた。数分後に我々は別れ、筆者はその日同行していた別の友人の元へ戻った。「彼女に気付いてた?」と、かれは尋ねた。「誰のこと?」「お前らがお喋りに夢中になっている間、すぐ隣にBjörkが立ってたんだよ。」筆者は振り返ったが、彼女は既に、Park Avenue ArmoryのVeterans Roomへと繋がるホールとロビーを仕切るカーテンの影に消えてしまっていた。ただでさえうっとりするような夜だったが、Björkがすぐそばにいたという事実は、この日を締めくくる最高の出来事であったと、後になってから思い返した。 Veterans Roomの内装について、Decorator And Furnisher誌は1885年に、「所々にエジプト、ペルシャ、日本美術の要素を散りばめた、ギリシャ、ムーア、 ケルト風の迫力あるスタイル」と評している。最近になって一部が修復されたが、今も尚、複雑な模様の鋳造物や錬鉄製のシャンデリア、ステンドグラスなどで溢れたその室内に入ると、タイムカプセルでアメリカ耽美主義の時代にワープしたような気分にさせられる。そのクオリティと、着席で100人前後という収容人数は、4月25日と26日の2日間に渡り行われたSakamotoのパフォーマンスのチケット争奪戦を引き起こす要因となった。 Sakamotoが出演依頼を受けたのは、パフォーマンスするだけ体調が回復しているのか、彼自身が確信を持てない頃だった。その後、8年振りのソロアルバム『async』のレコーディングを終えた彼は、Veterans Roomが同作の初演に理想的な場所であると考え、出演を承諾したそうだ。アルバムは、「Andrei Tarkovskyの架空の映画のサウンドトラック」として制作された。火曜日のパフォーマンスは、実際には本体となる映画のないサウンドトラックの為に映像を作ったヴィジュアルアーティスト、Shiro Takataniとのコラボレーションによって行われた。部屋の中央にいるSakamotoの頭上には、下を向いたプロジェクションスクリーンが吊るされ、そこに映るヴィジュアルは曲ごとに変化していった。アルバムのオープニングトラックである"Andata"、そして"Disintegration"から演奏を始めたSakamotoは、ピアノの前方で前屈みになって立ち、海辺の街のぬかるんだ景色が頭上に映し出される中、弱音ペダルを踏みながら自身の指でピアノ線を弾いていた。
    音楽と映像のイメージがダイレクトに一致することはほとんどなかったが、"Tri"の急ぎ足のチャイムを、Takataniは水面に落ちる雨粒で描いた。その映像は鮮明だったが、Takataniはカバーアートに使用されていたイメージをスクリーンに投影し、アルバム全体に流れる無の感覚を表現した。同じことが、LPのライナーノーツに使用されているピアノの写真が映し出させた時にも感じられた。 『async』の主役となっているのは自然現象だ。それはフィールドレコーディングであったり、アメリカ人作家Paul Bowles(あと何回、満月を見られるだろうか?)やTarkovsky(波が次々と浜辺に打ち寄せる/それぞれの波の上には、星、人間、鳥が乗って)による言葉であったりする。波はSakamotoにとって複雑な主題だという。彼は波をタイムマーカーとして、そして世界のコンテナとして捉えているが、2011年に東日本大震災の津波が起きた後のチャリティプロジェクトでは、積極的な支援者として活動していた。そしてTakataniの映像もまた、水に固執していた。スクリーンの中では、波が穏やかに浜辺に打ち寄せ、水面に映っていた雲はさざ波によって形が崩れた。パフォーマンスの終盤で"Ubi"の悲しげなコードが鳴り始めると同時に、Sakamotoは頭上で繰り広げられるそのシーンを見つめた。『async』は自身のキャリアの中でも最もパーソナルな音楽を含んでいると語っていた彼は、無調のタイトルトラック"Stakra"を除く、アルバムの全収録曲を演奏した。 ステージにはピアノのほか、ギター、そしてオシレーター、アナログシンセサイザーのProphet-5、ラップトップをはじめとする楽器以外の機材が乗ったテーブルが置かれていた。Sakamotoは弓を使って金属棒を演奏し、長さ1メートルほどの櫛状の物体を木槌で優しく打った。"ZURE"の曲中、彼はピアノから離れ、大きなガラス板を様々な木槌で叩いたり擦ったりして、軋む音や轟音を鳴らし始めた。その間、彼は何か深く考え事をしているように見えた。その空間にいた全員も、同じ様子だった。 Photo credit / Da Ping Luo
RA