Hessle Audio in Kraków

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  • ポーランドはクラクフのUnsound Festivalのオーガナイザー陣の手により最近オープンしたばかりのクラブ89は、いつもは午前1時頃から混み合い始める。しかしこの日は、パーティーがスタートして1分と経たないうちに、Hessle AudioのTシャツを着た酔った男5人組がダンスフロアに入って来た為、プロモーターのŁukasz Warna-Wiesławskiは、軽い驚きを隠せない表情を浮かべていた。「こんなこと今までなかった」と、彼は私に教えてくれた。「Facebookで何時にオープンするか質問していたチェコ人たちかもしれない。」"Love you!"や"Hessle Audiooooo"といった雄叫びがこだまする中、Ben UFO、Pearson Sound、そしてPangaeaの3人は今だレコードを整理していた。その後、この夜の最初の1曲が鳴り始めた。 10月のクラブオープンに向けての準備期間、Unsoundの創設者の1人であるMat Schulzは、89は「少しDavid Lynch的な雰囲気がある」とツイートしていたが、その意味が今になって分かった。地下のフロアは、床から天井までが血のように赤いレオパード柄のカーペットで覆われている。唯一の隙間は、かつてストリップ用のポールがあった部分の小さな円だけだ。コンパクトなダンスフロアの片側には、黒い革張りのソファ席が広がっており、DJは小さなステージからクラウドと向き合う。店内全体は、ぼんやりとした赤い照明で照らされている。ストリップクラブだった以前、この場所は洒落たHotel Forum(現在は閉店)の地下にあるヴァイビーなナイトクラブ、Crazy Dragonだった。(89では現在オマージュとして、Crazy Dragonというタイトルのディスコパーティーを地元民に向けて開催している。)UKのBloc. Festivalで過ごした目のかすむ朝を想起させるその内装は、1989年にCrazy Dragonがオープンして以来変わっていないという。 おそらくHessle Audioトリオは、彼らのオールナイトセットを1時間ほどのビートレスな音楽で始めようとしていたのではないかと思うのだが、賑やかなグループが早々に登場したことによって方向性を変えたようだ。エアリーでメロディックなブレイクビーツは、すぐにUKらしいベースの重いパーカッシブなトラックへと変わった。最初の90分間だけで、筆者はRamadanmanの"Revenue"をはじめ、The Bug "Skeng"のAutechreリミックス、Peverelist "Esperanto"を聴いた。ダンスフロアが埋まっていくにつれ、彼らがかけるハウスとテクノの周波数も増していったが、リズミックな変わりネタが良いタイミングで1曲か2曲差し込まれた。彼らのセットはじっくり組んでいくというものではなく、ペースとエネルギーには大きな起伏があり、それは時に劇的なほどであった。午前1時頃、Ben UFOが夜の流れをぶった切るかのように、シンシーで泥沼のような長いアンビエンスを投下。その後PangaeaとPearson Soundは、クラシックUSハウスのメドレー(Kevin Saunderson "The Sound (Power Remix)"やMaurice "Out Of Nowhere"など)で、すぐにムードを切り替えた。このサプライズ的な強引な手口、そして完ぺきなテイストとテクニックこそが、彼らがこれほどスリリングなDJトリオたる所以なのだと思う。 午後2時頃になると、89全体が活気づいてきた。コアの客層がフロア前方で様々な表情を浮かべる一方で、20代、30代と見られる笑顔の若い客達はフロアの端の方をうろついたり、アイランドバーで安いカクテル(500円程)をチビチビと飲んでいた。小箱(キャパシティ400人前後)の小箱に、これほど様々なキャラクターが集うのは稀だ。この時点で、DJたちの交替までの感覚は先ほどよりも長くなっており、Ben UFOの奇妙なアウトサイダー・ハウスをPearson Soundがドリーミーなブレークのテクノへと変え、Pangaeaはブリーピーなテクノやアシッドをダークなシンセポップとミックスしていた。 その全ての切り替えに、クラウドたちは同じような低いざわめきを上げていた。「どこから来たの?」と、筆者は前日の若者グループのうちの1人に尋ねた。「チェコだよ」と、彼は即答してくれた。「ここに来る為に300キロメートルのラウンドトリップをしたけど、その甲斐があったよ。なんでかって?Hessle Audioだからに決まってるだろ!」
RA