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  • Wolfgang VoigtはADHD(注意欠陥多動性障害)だと診断されている。2015年、彼はDr. Chris Dooksとのインタビューで次のように語っている(英語サイト)。「子供のころ、僕は幼稚園に通わなかった。他の子どもをうるさいと感じてしまっていたからね。それは学校に通うようになってからも変わらなくて、通学がすごくいやだった」。当時の彼は認識していなかったが、これは多動性の初期症状にあてはまる。そのことが分かったのは、彼が大人になった2000年代初頭のことだ。彼は投薬を試したが、重い気持ちになってしまう作用に耐えられなかったため、ほどなくして、自分の症状を別の視点からとらえようと本を読むようになった。そこで彼は問題が必ずしも自分自身にあるわけではないことを知り、むしろ学校や職場など、制御不可能で協調性のない行動を取ってしまう人をサポートするように作られていない社会構造の中に原因があるのだと理解した。しかし、Voigtは次のように説明している。「放課後になれば、自分だけの夢の世界へ飛び込めた。そうすれば何も気にならなくなった」。 そんな彼がGasを始動したのは何ら不思議なことではない。Bon IverからBiosphereまで(英語サイト)、あらゆる人が森の中に逃避行することでインスピレーションを受けている。Voigtの場合、森はセラピーの役割を果たしていた。現在55歳のアーティストとなった彼が育った家庭では、地元ケルンを囲む自然に深く感謝することが大事にされていた。若き日のVoigtは多くの時間を近所にあるケニグの森で過ごしていたという。自称「ヒッピーなティーンネージャー」として、彼はそこで初めてサイケデリック体験を味わった。さらにケニグの森はGasのサードアルバムのタイトルになるほどの感銘を彼に与えている。先述のインタビューで彼はDooksに対し次のように語っている。「(サード)アルバムは僕が手掛けた作品の中で最もパーソナルな感情の渦巻く精神世界を表している。でも正直に言うと、制作時にはそういったことをまったく意識していなかった。アルバムがどんな印象になっているのかを僕が理解したのは何年もあとの話。面白い意見や反響をたくさんもらってからだよ」。 その『Königsforst』がMille Plateauxからリリースされて18年が経ち、今回、VoigtのセルフレーベルKompaktがGasの偉業をたたえる巨大ボックスセットの一部として同作の2度目の再発を行うことになった。Gasによるアルバム全4作を4枚のCDと2枚の短縮版LPにコンパイルした2008年の『Nah Und Fern』(英語サイト)が絶版状態になっていたことを抜きにしたとしても、『Box』の再発が嬉しいことに変わりはない。数十年が経ち、この音楽の制作者であるVoigtが新たな意味とコンテクストを作品に見出したのなら、それは間違いなく彼の信者にとっても再び作品を聞き直す理由となる。1995年の「Modern」EPと1996年のファーストアルバム『Gas』が外された今回のボックスセットでとらえられているのは、Gasが自然の神々しさとクラブの自由な精神の融合を目指す、完成されたコンセプチュアルなプロジェクトだった時代だ。 Voigtによる影響力の強いアンビエントテクノ作品を熱心にチェックしてきた無数の人たちにとって、そんなことは既に周知の事実だろう。しかし、『Box』では彼の音楽にこれまでとは違う光があてられている。その一因は、意図的に時系列で音楽を提示したことだ。浮かび上がる広がりを感じさせた1997年の『Zauberberg』から、Gasのラストアルバムにして最もピースフルな仕上がりとなった2000年の『Pop』へと至るまで、本作には、この音楽のコンセプトを辿るサウンドジャーニーが広がっている。それは、Wagner作品のストリングスからサンプリングした蒸気のようなサウンドや、Klaus Schulzeのようなコズミッシェアーティストの優雅な陶酔感によって作られた瞑想音楽だと言えるかもしれないが、そのパターンと鼓動は独自の生命を宿している。『Zauberberg』の迷宮を抜け、"Königsforst 5"で迎える盛り上がりは途方もなく感じられ、そこから本作は"Königsforst 1"の夜明けの景色へと変化していき、"Königsforst 2"のぬくもりに包み込まれる。『Pop』の穏やかな幻覚に身を任せれば、社会の喧騒から逃れて森のささやきに耳を傾けた幼少時代のVoigtの感覚が理解できるだろう。 彼のことを知らない人にとって、『Box』はミニマル/アンビエントテクノ史のレッスンであり、壮大なサウンドジャーニーとなるだろう。先のインタビューでVoigtがDooksに説明しているように、記憶の片隅でGasの音楽が色あせてしばらく経過するまで、Gasの魅力を最大限に味わうことはできない。その衝撃の余波は完全に消え去ることはなく、Tim Heckerのサンプルを基調にしたアンビエントミュージック、The Fieldの『From Here We Go Sublime』(英語サイト)、Voices From The Lakeによる傑作『Voices From The Lake』、そして、Acronymの『June』などと同様、今回のような再発はその余波をさらに大きくする。2008年、Philip SherburneはGasによる貴重なパフォーマンスをレビューした際(英語サイト)、「ある場面やリフを聞くだけではGasのポイントはつかめない。全体でとらえなければならないのだ」と記している。『Box』はこの考えに呼応するかのように、Voigtがエレクトロニックミュージックに遺した古びることのない作品を全集として提示している。 しかし今回、Gasが受けた影響や豊かな音楽背景よりもさらに重要なのは、本作の変容性だ。最初にこの音楽が発表されてから10年が経過しても、そこにノスタルジックな感覚は生まれなかった。この絢爛とした広大な世界は、表面的な思い出としてリスナーの心を掴むのではなく、もっと深く内省的な意識にまで浸透する。"Zauberberg 3"に漂うフルートやストリングスは、今聞いても97年当時と変わらずつかみどころのない深みがある。意識下で響いてくるベース音、柔らかく流動的で安心感のあるビート、そのどれもが以前のままなのだ。"Tal 90"の軽快なクラウトロック・ギターは今後も変わらずサイケデリックな調和と共に揺らめいていくだろう。私たちの変化と共に、こうした音楽もまた私たちに合わせて変わっていくのだ。 「でもそこには確かに別の一面がある。それはもっとパーソナルで上手く説明できないものだ」とVoigtがDooksに語るのは、これまであまり語られてこなかったGasの一面だ。ADHDだと診断を受ける前、Voigtは制作活動を通じて「意識を集中し、自分の均衡を保っていた」そうだ。そうした安堵感や自己発見から生まれる喜びが彼の作品の中核部分にある。Gasとは、自らの意識を解放し、自由に漂わせた男のサウンドだ。そして『Box』を聞くことは、それと同じ体験を味わうことに等しいのである。
  • Tracklist
      Zauberberg 01. Zauberberg 1 02. Zauberberg 2 03. Zauberberg 3 04. Zauberberg 4 05. Zauberberg 5 06. Zauberberg 6 07. Zauberberg 7 Königsforst 01. Königsforst 1 02. Königsforst 2 03. Königsforst 3 04. Königsforst 4 05. Königsforst 5 06. Königsforst 6 07. Königsforst 7 08. Königsforst 8 Pop 01. Pop 1 02. Pop 2 03. Pop 3 04. Pop 4 05. Pop 5 06. Pop 6 07. Pop 7 Oktember 01. Tal 90 02. Oktember
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