MUTEK.MX 2016

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  • MUTEK.MXの最大の魅力は、その環境にある。約1週間に渡り開催されるこのフェスティバルの中で今年のクラブナイトの舞台となったは、メキシコシティ歴史地区にひっそりと佇む19世紀の宮殿を改装したヴェニュー、Casino Metropolitano。そのすぐ近所にある金色の内装が施されたネオクラシカルなオペラハウス、Teatro De La Ciudad(メキシコ市立劇場)では、着席型のオーディオヴィジュアル・ショウが行われた。クロージングパーティーの時間には、南米最大規模の都市公園チャプルテペック公園の一角にある、ルフィーノ・タマヨ博物館周辺の広場が人でいっぱいとなった。そしてメインイベントである、アヴァンギャルドなエレクトロニクスとストレートなハウス/テクノのバランスが上手く取られた2つのナイトプログラムは、現代的な建築が印象的なFoto Museo Cuatro Caminos内の4つのフロアで繰り広げられる。好きなだけ大音量を出すのに、市の中心部からは十分な距離があった。 Casino Metropolitanoでのオープニングナイトでヘッドライナーを務めたエクアドル系フランス人プロデューサーNicola Cruzは、素朴な南米サウンドとタフでモダンなエレクトロニクスを融合させた。ずっしりとしたローエンドとスマートなドラムプログラミングからなる基盤は、フルートの音色や撥弦楽器、おおらかなヴォーカルといったサウンドをしっかりとつなぎとめていた。その前に登場した地元メキシコシティ拠点のMe & Myselfは、絶望的世界観のドローンにテクノとブレイクスを融合させたライブパフォーマンスを披露。この2組は完全に異なるセットであったが、シネマティックな雄大さという共通点があった。 Foto Museoでの二夜に渡るプログラムは、スケール、内容ともに素晴らしくシンプルだった。キャパシティ1500人前後と思しきコンクリートでできたボックス型のメインステージには、多額の予算がかけられていそうな、壮大な(だが、けばけばしくはない)ライティングが施されていた。スタジアムでのショウというよりは、大規模なウェアハウスパーティーのような雰囲気があった。Rroseはこのステージに完ぺきにフィットしたアクトだったと言える。ビッグルーム・マジックを当てにすることなく、サイズ感と強烈さをマッチさせたパフォーマンスを披露。一方でThe Fieldは、彼の最新アルバムと比較するとタフなサウンドで、ヒプノティックかつ力強いテクノを展開した。
    屋上のパティオを通り抜けた場所にある一番小さなステージでは、クッションが置かれた部屋の中でアンビエントミュージックを聴くことができた。筆者は2回ほどそこへ入ろうとしたがいずれも満員だった為、ほとんどの時間をヘヴィーでレフトフィールドなエレクトロニクスにフォーカスしたRoom Bで過ごすことになった。高解像度のシンセと分厚いサブベースに、Björkのような自由奔放なヴォーカルを乗せたスイス人シンガー/プロデューサーAïsha Deviのパフォーマンスは、この1週間の中でも最も異彩を放っていた。チリ出身のプロデューサーでありメキシコシティ拠点のクルーNAAFIの中心メンバーでもあるImaabsによるライブ/DJハイブリッドセットには、いわゆる"エクスペリメンタル・クラブ"シーンが持つ力強さを感じた。 彼はミュータント・レゲトンと音数の少ないグライム、そしてカテゴライズを一切無視したような数々の未発表ダブの間を優雅に行き来してみせた。洗練されたミニマリズムとデータ量の多いアートプロジェクトを中心としてきたMUTEK.MXは、従来アカデミックな気質のあるフェスティバルだったが、これらのセットは爽快なまでに本能的内容だった。 木曜夜の劇場でのショウはピンキリだった。ハイライトだった日本人ダンサー/マルチメディアアーティストの梅田宏明は、プロジェクションマッピング、そしてアブストラクトなコンピューターリズムと見事に一致したダンスを披露した。それに比べ、一番手だったイタリア人インスタレーショニストMichela Pelusioはそれほど印象的ではなかった。彼女のSpaceTime Helixというパフォーマンスでは、天井から床に伸びたケーブルが円の中で回転しながら波形を描き、その波形はPelusioが操作するコントローラーから放たれる音のトーンによって形を変えるというもの。その様子は、筆者にiTunesのビジュアライザを想起させた。キレイでカラフルだが、空っぽなかたちの連続であるビジュアライザと同じように、SpaceTime Helixは単なる光のショウのように感じてしまった。
    近年では、音楽、アート、そしてテクノロジーの融合を取り入れた音楽フェスティバルが数多く存在する。しかし、それぞれの要素にはそれぞれの世界が存在するのであって、こうしたプログラムでは時に、そのうちのどれかひとつの要素の影に全てが隠れ、他の2つの要素が意味を失ってしまうこともある。MUTEK.MXは、その3つ全てをほぼ対等に扱っていたものの、しばしばアートとテクノロジーの要素がギミックのように感じらた。PelusioのSpaceTime Helixを例にとってみても、何のメッセージも、感情も、真実もないそれは、単なるパーティートリックとしてのテクノロジーに過ぎないのだ。 そうは言っても、MUTEK.MXは数々の意義のある音楽体験をもたらしていた。屋外エリアのクロージングパーティーで行われたDeWaltaとMike Shannonによるライブセットはとても素晴らしく、彼らのベースの効いたミニマルハウスは、この数日間で繰り広げられたダークで緊迫感のあるプログラミングからの、ちょうどいい息抜きとなった。洗練されていて、かつパーティーロッキング。このフェスティバルがユニークであり続けることに必要なバランスを、2人はしっかりと取っていた。
RA