Nicolas Jaar - Sirens

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  • Nicolas Jaarの音楽はふたつの領域の狭間に存在している。彼はロックミュージックを極上のアンビエンスへと昇華し、宙に浮かび、既存の構造を超越する楽曲を書く。はかなく掴みどころのない特性にもかかわらず親近感を覚える音楽が実現されるのは才能だと言えるだろう。彼は十分なだけ言葉に空白や空間を残し、リスナーにその隙間を埋めさせているからだ。無関心な親密さとでも言えるような、この相反する特性により、2011年のアルバム『Space Is Only Noise』(英語サイト)はジャンルを超えたヒット作となった。同作以降、Jaarは自身のレーベルOther Peopleの運営や、バンドプロジェクトDarksideでの演奏、映画のサウンドトラック制作、5時間に及ぶライブセットなど、あらゆる活動を行ってきたが、続編の制作が行われることはなかった。 そこから彼の制作スタンスが以前の状態に戻るのは昨年の「Nymphs II」の発表まで待たなければならなかった。同シングルは2011年の時点におけるJaarへの回帰作品となったが、だからといって彼も21歳に戻ったわけではなかった。彼は2008年に18歳でデビューしたときから付きまとっていた神童としての評判から抜け出したのだ。かつては一過性に過ぎなかったものが、完全に形成され確固たるものへと変化したのである。それから魅惑の音楽を収めた2作品が続き、今回発表されたのが『Sirens』― 間違いなくJaarのベストと言える作品だ。 Jaar曰く、『Sirens』は「Nymphs」シリーズと『Pomegranates』と合わせて三部作となるらしく、"意識のさまよい"という点で共通しているのだという(『Pomegranates』は1969年の前衛映画『The Color Of Pomegranates』にあてる音楽として制作されたものだ)。しかし、『Sirens』をJaarの初期作品につなげることは難しくない。というのも、本作では彼の声がふたたび全面にフィーチャーされているだけでなく、彼の原点であるピアノも際立っているのだ。"Killing Time"のピアノによって『Sirens』はスタートする。まずウィンドチャイムが散りばめられた後、飾り気なく張り詰めるトラックの中をメタルドラムが響き渡る。Jaarの声は感情に打ち震えており、彼の音楽に漂う掴みどころのない無機質な感覚を拭い去っている。 別の収録曲ではJaarによるおなじみのバリトンが表出している。例えば"Leaves"は怒ったハチの巣を思わせるドラムが襲い掛かるロカビリー・ナンバーだ。"No"は爪弾かれるギターや歪んだキーボード、スポークンワード、そして、Jaarによるスペイン語の歌から構築された、はかなく簡素な長尺トラックだ。錯覚ではあるのだが、終始、Jaarはリスナーを完全に虜にし、指を鳴らす代わりにビートを使ってリスナーの催眠状態を解いている。 "Three Sides Of Nazareth"でフィーチャーされているのは「道端で自分の折れた骨を見つけた」というJaarによるひと際人目をひく歌詞だ。この暗鬱とした空気が『Sirens』の大部分を特色づけている。これは近年、独裁者Augusto Pinochetの統治時代を記録した博物館でJaarが演奏を依頼され、チリを旅したことと関係しているのかもしれない。恐怖とトラウマの感覚は本作の至るところに散りばめられた威嚇的な歌詞の節々から感じ取ることができる。例えば"Killing Time"では「時間がないぞ、と警官が少年に言った。15歳になろうとしていたAhmedは手錠をかけられていた」、そして、"The Governor"では「僕たちが生み出したバケモノはこれからますます大きくなっていく」と歌われている。 Jaarは『Sirens』について政治色の強い言葉で語ってきたが(英語サイト)、本作は決して論争を巻き起こしているわけではない。Jaarは耳障りな騒音の中へと突き進んだり、楽曲の魅力的な揺らぎに激しいサンプルで負荷をかけたりしており、不安と暴力の感覚が本作に生まれている。彼が伝えるのはメッセージではなく、感覚なのだ。この点は本作のカバーアートにまで及んでいる。スクラッチカードのように削られたカバーアートが見せているのは彼の父親の作品であり、米国が"アメリカ"として認識され、ラテンアメリカのアイデンティティが消去されていることを表現している。『Sirens』の幕を閉じる"History Lesson"は、いい意味で場違いな印象のドゥーワップだ。甘いトーンの向こう側にはしかし、ひと際辛辣で巧みな歌詞が綴られ、「第一章:台無し、第二章:またしても台無し」など、歴史講義の要約ガイドのように提示されている。興味を引く抽象性と挑発的なストレートさがあり、生い茂る感情をたった数単語にまで切り落としている。 一瞬の中に深みを見出すJaarの少ない要素で多くを表現するこうした特性により特徴づけられているのがこの極めて強力な作品なのだ。『Sirens』が彼の作品の最高峰であるのは、明快さと実験的難解さ、そして、濃密な深みと軽さが高次元で両立しているからだ。その中核部分に至るまで、『Sirens』は徹底した音楽作品の持つ力強さを備えた殺伐としたレコードだ。本作は強力だが多義的でもある。一概に定義づけることのできないこの特性こそ、Jaarが取り組んできたものなのだ。
  • Tracklist
      01. Killing Time 02. The Governor 03. Leaves 04. No 05. Three Sides Of Nazareth 06. History Lesson
RA