Space Ibiza closing 2016

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  • 日曜の夜、Spaceのクロージングパーティーで働くプレス、クルー、スタッフ、あるいはアーティストたちは皆、通用口からクラブへと入っていく。彼らが中へと歩を進める様子を見ながら、ハリウッドのスタジオはこういう感じなのだろうと筆者は想像した。そこでは多くの人たちが様々なストレスを抱えながら走り回り、ある人は氷を積んだカートを押し、ある人は電気設備の重圧でもがいている。そんな彼らは、通路でタバコを吸ったり会話を楽しんでいる黒い服装で固めたオシャレなヨーロピアンのグループの間を飛ぶように移動する。そんな光景の後ろにあるのが、Ultra Music Festivalとのパートナーシップによって建てられた巨大な屋外ステージ、Flight Areaだ。轟くビートの音が耳をつんざくようだった。 筆者が知る限り、Spaceのオープニング、そしてクロージングパーティーは、集客数、DJ、そしてプロダクションにおいて、この島で最も大きなイベントであり、クラブナイトというよりはもやはフェスティバルと言ってもいいほどだ。そんな中でも、同クラブの27年間の歴史を締めくくる20時間に及ぶマラソンパーティーとなったこの日は、史上最大規模での開催となり、Spaceのこれまでの歴史を彩ってきた100組以上のDJが出演した。 筆者が午後8時半頃に到着した時に店は既に混雑していたが、前年までとは違ってパーティー開始時点で5つのフロア(プラスFlight Area)が全てオープンしていた為、どこも混雑し過ぎているという印象はなかった。Sunset Terreceへとまっすぐ足を運び(事が起こったのはここであることは、ソーシャルメディアに出回っていたビデオの数々が証明している)、足を踏み入れた瞬間ワンツーでThe Beatles "All You Need Is Love"とKings Of Tomorrow "Finally"が聴こえた。後者は個人的に大好きな曲だった為、まだ到着して10分程しか経っていなかったにも関わらず、声高らかに謳ってしまった。 そこからはヒット曲のオンパレード。パーティーの間中ずっと続いていたと言っても過言ではなく、2、3曲に1曲はクラブ・クラシックがかかっていた。他のヴェニューだとやり過ぎのように感じたのかもしれないが、こうしたトラックの多くが広く普及しているSpaceという場所では、しっくりときた。クラシックスの多くがかかっていたのは、Spaceの長年のレジデントや関係アーティストが多くラインナップされていたSunset Terrace。彼らはそれぞれの30〜45分間のセットの中に、できるだけたくさんのことを詰め込もうとしていたようだ。Daniel KleinというDJの名前を筆者はこの日初めて聞いたのだが、彼はPlastikmanの"Spastik"、Daft Punk "Da Funk"、Armand Van Helden "The Funk Phenomenon"などでフロアをガッチリとロックしていた。一方、UKのデュオBlackhall & Booklessは、さほど有名ではないグルーヴィーなハウストラックを、Mood II Swing "Ohh"やPete Heller "Big Love"などとミックスしてみせた。'90年代初頭に、かの有名なSpace Terraceのローンチに携わったAlex P & Brandon Blockは、謎のマッシュアップや今時ののハウス(例えばDavid Zowieの"House Every Weekend"など)をプレイしていたかと思いきや、その後Lisa Lisa & Cult Jamの"Let The Beat Hit 'Em (Part 2)”をドロップ。このクロージングで聴いた中でも、個人的ベストセレクションのひとつであった。ミックスの間、Blockはデッキ上で踊り、フロアに向かって熱心にジェスチャーを送っていた。一方Alex Pはというと、しきりに髪に手をやり、パートナーの行動に困惑しているようにも見えた。
    Alex Pがこうした反応をしたのも無理はない。というのも、この時の雰囲気は筆者がそれまでイビサで感じたことがないようなものだった。Sunset Terraceは2007年、かつてのSpace Terraceのヴァイブを再現するために作られたが、新たな騒音規制法によって屋根を設けなければならなかった。それは非常に象徴的な出来事だった。そして屋外にも同じ法律が適用された為、ある時点を超えた後は音量を下げなければならなくなった。筆者の経験からすると、Sunset Terraceはウォームアップやチルアウトに適したエリアだった。音楽が鳴っていても、大勢の客が到着する頃までには滑稽なほど小さな音量になっていた。 しかしこの日曜と月曜は、どういうわけかそうした音量制限がなく、Sunset Terraceがまるで別空間のようであった。そしてその様子は、筆者が知るかつてのSpace Terraceのイメージと一致した。 そよ風が吹き、そこかしこに段差のある広大なダンスフロアでは、あらゆる世代の個性的なクラウドたちが、曲が変わる度に反応し、叫び、腕を振り回していた。そのヴァイブは解放的で、とんでもなくいい雰囲気だった。パーティーピープルたちが清掃スタッフにカメラのシャッターを頼む代わりにグラスを集め、その一方で熱心なSpaceファンたちはDJブースの前面にお別れのメッセージを書いていた。もうそろそろ帰ろうとしていた午前9時頃、レジデントのPaul ReynoldsがLovebirdsの"Want You In My Soul"や、Christopher Cross "Ride Like The Wind"のJoey Negroリミックスといった名曲をドロップ。朝の太陽の暖かな光と、巨大なファンからの冷たい空気が入り混じっていた。 Sunset Terraceがもし2007年以前のSpaceへと向けて開かれた窓だとしたら、Flight AreaとDiscotecaはそれ以降の同クラブを象徴するスペースと言えるだろう。この2つのアリーナの目的は、ワールドクラスのプロダクションとサウンドによって、観客の記憶にしっかりと残るような、スタジアムサイズでのダンスフロアの瞬間を実現することだ。Darius Syrossianは、日曜の夕方にEnergy 52の"Cafe Del Mar"からUnderworldの"Dark & Long"をシームレスに繋ぐなどし、そうした瞬間を見事に作り出した。その後同じステージに登場したTale Of UsはRobert Milesの"Children"でフィニッシュ。 筆者はそれを聴いた瞬間に安っぽいと感じてしまったのだが、最終的には、ステージに映し出されていた爆縮した惑星の燃え立つようなヴィジュアルにすっかり心を掴まれていた。その時ステージ脇では、SpaceのオーナーPepe Roselloが派手に着飾った白髪混じりのイビサの住人たちに囲まれながら、フロアの様子を眺めていた。
    午前2時頃になるとFlight Areaのエネルギーは大幅にダウンし、数千人の客達はDiscotecaへと移動した。ありがたいことに、この日はSpaceの誰かが、フロアにたくさんのVIPテーブルを置くのはやめておこうという賢い決断をしてくれたようだ。午前3時以降はエレクトリックな雰囲気が続き、Spaceで長年出演し続けてきたJosh WinkとSashaがお得意のビッグルーム・テクノでフロアを沸かせた。午前6時から昼頃まで続いた大詰めでは、Carl CoxとNic FanciulliがB2Bセットをプレイ。特大のテックハウス・バンガーと(Michel De Hey "Basic Eggs"、Tuff London "Yes")、Spaceクラシックスの数々(Donna Summer "I Feel Love"、Underworld "Two Months Off"、 David MoralesリミックスによるJamiroquai "Space Cowboy")を出し向けにミックスし続けた。フロアからは、彼らがTraktorのプレイリストをスクロールし、この歴史に残るであろうセットにどのトラックが相応しいのかを互いにアドバイスし合う様子が伺えた。最後の曲は、Angie Stone "Wish I Didn't Miss You"の4つ打ちリミックスだった。疑いようもなく素晴らしい曲ではあるが、Coxがこの夜の序盤にプレイしていたトラックだった。違っていたらもっとスペシャルなクロージングになっていたかもしれない。 だがその頃には、もはや音楽以上に大事な何かがあった。正直に言うと、筆者は何年経ってもSpaceが好きになりきれなかった。素晴らしいクラブではあるが、プロフェッショナル過ぎ、冷静過ぎ、そして何もかも能率が良すぎるといった印象が常にあった。しかしこのクロージングパーティーは、筆者がイビサで行った多くの、どのパーティーよりもワイルドで、多幸感に溢れており、それを誰に話しても皆賛同してくれた。長年に渡り数多くの人たちにとってかけがえのない場所として存在し、数えきれない程のアーティストやプロモーターのキャリアを形成してきたこのSpaceというクラブへの、相応しいお別れであった。Discotecaでの最後の時間、数千人のクラウドがレーザーとスモークの渦の中で踊っている様子を見ていると、Coxが以前話していたことを突然思い出した。「かつてのイビサは二度と戻って来ない。分かるだろ。」 Photo credit / Tatiana Chausovsky
RA