Ultra Japan 2015

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  • ステージに設営された巨大なディスプレイに映し出されるDJのライヴ映像、DJによるオーディエンスを煽るマイクパフォーマンス、トラックのドロップと共に火炎を吹き上げるファイヤーマシン、露出度高めにドレスアップした女性客、既知の曲が掛かると合唱するオーディエンス、芸能人やモデルが集って一段高い場所から見下すVIPルーム。本イベントはエンターテイメント性に特化したユースカルチャー向けの都市型ダンスミュージックフェスティバルだ。 Ultra Music Festivalは、1999年にアメリカはマイアミで始まったダンスミュージックのフェスティバルだ。本祭では30万人の集客を集め、ひとつの市区町村の人口が移動するほどの規模となっている。そしてこの巨大化したフェスティバルは各国で行われるようになり、昨年から日本にも輸入された。それが今回のUltra Japanである。日本でのチケットは即完売し、今年は3日間で9万人が集まる国内最大級のダンスミュージックのフェスティバルに急成長した。サウンドでいえば、元々プログレッシブ・ハウスやトランスを中心に、テクノ、ドラム&ベースを含むラインナップでスタートし、時代に沿うかたちでそれらの系譜を辿る次世代アーティストを迎え入れ、ダブステップの旋風を取り込んできた。そしてEDMというムーブメント、新たなシーンを確立した。本祭ではCarl CoxやLuciano、Loco Dice、Seth TroxlerやtINI等が近年ラインナップされているが、日本でも今年はDJ Emma、Satoshi Tomiie、DJ Sodeyama等が出演するなど、よりアンダーグラウンドのダンスミュージックを取り入れている印象だ。 Ultra Japanは3日間行われる中、筆者は2日目に参加した。会場は東京湾付近のお台場の公園に隣接したイベントスペースで、リストバンドさえあれば会場の出入りは自由となる。一帯の地域振興を兼ねてか近くにあるショッピングモールで食事を取れる気軽さも良いし、チケットのない人は会場内に入れないが公園内に響き渡る音を楽しめるという、開放的でリラックスした環境となっている。会場周辺には、フェスティバルをより楽しむためにドレスアップや仮装をした屈託のない男女が大挙して非日常感が溢れていた。 会場内のステージは3箇所。ヘッドライナーが出演するメインステージ、テクノやハウスなどの四つ打ちのジャンルを中心にしたセカンドステージ「RESISTANCE」、ベース・ミュージックを中心にしたサードステージ「UMF RADIO」となり、楽曲の音響の特性やジャンルの育まれたキャパシティに比例した、適した大きさとなっているように思えた。例えばベース・ミュージックでいえば、低音が響く狭い室内で生まれたダブステップは約200人の屋根のあるステージ、四つ打ち系のセカンドステージは2000人規模。メインステージは、広範囲に音が届くラインアレイスピーカーが起用され、一万人以上のオーディエンスに向けてフェスティヴァル・シーンとともに育まれたトラックがプレイされた。 メインテージは、ショーケース的なパフォーマンスが多く、象徴的だったのがトリを飾ったSkrillexのパフォーマンス。DJブースの上に立ってミキサーをいじる、巨大な旗を振る、ゲストのライヴパフォーマンスもありとサービス精神が旺盛。高音のウォブルベースがけたたましく響くUSテイストのダブステップで客を煽り、日本でのプレイということあってシンガーの宇多田ヒカルやラッパーのKohhの曲をはさみつつ、最後まで歓声が鳴り止まないプロのプレイを観せてくれた。メインテージでプレイされたジャンルの中で、特に反応が良かったものがビッグルーム・ハウスだ。迫力のあるレイヴィなシンセ音と、オランダのフェスティバル文化と共に成長したガバ/ハードコア・テクノの影響が色濃いディストーションが効いて音圧のあるキックが鳴ると、はるか遠方のオーディエンスまでも揺らして湧かせていた。大勢集まっているからといって何が掛かっても盛り上がるわけではなく、逆に反応が悪かったのはトラップやトワークなどのヒップホップから派生した横ノリのジャンル。縦ノリの四つ打ちは日本人の身体がすんなり反応していた。オーディエンスが一万人以上集まった適切な環境で体験すれば、その曲の魅力の真価が理解できるプレイが多く、一万人が集まる環境で栄えるフェス向けのトラックは小箱では大げさに聴こえてしまい、適切な現場で聴いていないと齟齬が生まれてしまう。過去に私は低音がはっきり鳴る海外のクラブに行くまではダブステップの真価がわからなかった経験と同じように、今回Ultra Japanに参加したことで万単位が集まる屋外の環境に適したダンスミュージックが生まれているという事実を肌身を持って知ることができた。 ここでひとつ思い出したのだが、私がシーンが成熟する前のテクノを熱心に聴いていた10代の頃(1990年代中盤)は、既存のシーンが出来上がっていた先輩であるハウスリスナーの一部から「テクノはガキ向けの音楽」として茶化されていた。それと似た現象が、世代が変わってこのシーンでは起きていると感じた。つまり、異論反論があると思うが、若い新規のリスナーが自由に騒ぐことのできるユースカルチャーとしてのダンスミュージックのハレの場が出てきた。既存のシーンとは別軸で盛り上がりたい若者が大挙していたのだ。万単位を一度に沸かせるフェスティバル向けのダンスミュージックのエネルギー量に圧倒されながら、音楽の価値について再考させられるイベントであった。 Photo credit: ©ULTRA△JAPAN△2015
RA