Glastonbury 2014

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  • Glastonburyと言えばロックミュージックと泥だ。実際のところ、みんな雨を楽しんでいる。ここ数年のGlastonburyは、前例がないほど晴天が続いていたのだが、今年は6月中旬頃からポツポツと雨が降り出し、フェスティバルが開催される週末は、過去数年間でも最大の降水量が予想されていた為、少し落胆した気分でフェスティバルに臨んだ。そんな悪天候に備え、気を引き締めていたのだが、筆者が会場に到着する頃には太陽が照っていた。この週末の天候パターンはまるで熱帯地域のそれのようで、短時間豪雨が降ったかと思えば、その後はカラリと晴れた空に暖かい日差しが輝いていた。 筆者の金曜日は、洞窟のようなJohn Peel Tentステージでのミネアポリス出身シンセサイザー・グループ、Poliçaから始まった。Channy Leaneaghの悲しげだが高揚感のある歌声は、このバンドの複雑なドラムセットを美しく取り囲うようであった。そこからThe Otherステージに移動し、洗練されたオルタナティヴ・ロックバンドのInterpolを、その後はPyramidステージでカナダ発の多楽器編成バンドArcade Fireを堪能した。 1997年、Glastonburyにエレクトロニックエリアと呼ばれる場所ができた。同フェスティバルの中でもアフターアワーズ・ヴェニュー的な存在のBlock9は、ダークでアンダーグラウンドな雰囲気が人気のエリアだ。20分ほどメインステージのヘッドライナーに耳を奪われていたが、ふと気付けば100人にも満たないオーディエンスの中、Lil' Louisのデトロイトハウスで踊っている自分がいた。その後、フラフラとThe Templeステージ(小さくて薄汚れたコロシアムを想像してみてほしい)に移動すると、DJ AFXことAphex Twinがジャングルやアシッドテクノをプレイしていた。あまりにも期待はずれだった為、そこで夜を締めくくりたくなかった筆者は、Block9の中のGenosysに期待を寄せて戻ってみることにした。老朽化しているが、どこか未来的な高層ビルのようなその屋外ステージで、Felix Dickinsonによる濃厚なコズミック・テクノセットで日が昇るまで踊り明かした。Glastonburyが他のどのフェスティバルよりも勝っている点は、多様性なのだ。 土曜日はWest Holtsステージからスタート。暖かな太陽のまどろみの中、John Wizardsが陽気なミッドデイ・セットを繰り広げていた。The OtherステージでWarpaintがプレイする時間にもなると、気温も上昇し辺りは熱気に包まれ始めたのだが、彼らのか細い声とギターの音はどうも盛り上がりに欠けていた。打って変わって、Parkステージに登場したニューヨークのレフトフィールド・ディスコ・シーンにおけるベテランバンドESGは、マスタークラスのド直球ファンクサウンドを披露してくれた。スポーティーでブカブカのTシャツに満面の笑顔でパフォーマンスしていたこの5ピースバンドは、この週末中の予想外のヒットだった。気分が良くなっていたが、ほぼ一日中歩き回っていたので疲労に達した筆者は、日曜日は雨が降らないことを願って眠りに就くことにした。 Glastonbury最終日。天気予報は当たった。フェスティバルで残された貴重な数時間、できるだけたくさんのことを詰め込まなければならない。デイタイムには、こじんまりとしたステージのLa Pussy Parlure NouveauでライジングスターのKwabsが登場。その後、The Otherステージでは、トリのMassive Attackがダウンテンポなクラシックスを演奏し、多幸感の溢れるセットを繰り広げた。こういった親しみやすいパフォーマンスは、スタジアム規模のどんちゃん騒ぎと並んで、Glastonburyの伝統である。一方Genosysステージでは、Paranoid Londonが泥まみれになったオーディエンス達に向けて、90分間の隙のないライブで低音の効いたアシッドを披露していた。続くFrançois Kは、更にハードで凶暴なTB-303サウンドを投下した。 しかし、このフェスティバルの最後の時間を過ごすのに適した場所と言えば、やはりNYC Downlow一択だろう。ドラァグクイーン達によるコーラス隊が立つステージで、Horse Meat DiscoのLuke HowardがJohn Paul Youngの”Love Is In The Air”をはじめとする不朽のクラシックスでフロアを彩り、涙を誘うような時間さえもあった。 900エーカー(約3.6 km²) に及ぶ敷地、63のステージ、動員数は20万人ーフェスティバルの規模という点で、Glastonburyはぶっちぎりの1位である。そして、フェスティバルの開催期間中、この場所は南イングランドで7番目に大きな“街”となる。他の素晴らしい街のように、Glastonburyはその“住人”に、多種多様なエンターテインメントや、縛りのない自由でユニークな週末の時間を提供してくれる(このフェスティバルのオプションは実に広範囲であり、例えば2人の参加者に話を聞いたとしても、それぞれの経験談は全く別のもので、同じイベントにいたとは思えない程だろう)。しかし、他のどの都市よりも優れているのは、Glastonburyが非法人ゾーンであるという点だ。アルコールの独占販売のようなものはなく、キャンプサイトとその他のプログラムの間にこれといった隔壁もない為、参加者は食べ物・飲み物等を好きなだけ持ち込める。すなわち、準備の内容によっては、サイト内でお金を一銭も使わないことも可能なのだ。おかげで、参加者はより人間らしい経験をすることができる。 また、他のフェスティバルと違い、Glastonburyを制覇したと感じるのはまず不可能だ。筆者はこれまでに5回参加しているが、全フィールドを回れたことは一度もない。人々が宗教信者のごとく、毎年のようにこの場所に戻ってくるのには理由がある。Glastonburyには中毒性があるのだ。それは、その場所と音楽にブランド力があるからというだけではなく、参加者1人1人の中にGlastonburyの歴史があるからなのだろう。この場所では、出会いもあれば別れもある。ちなみに筆者の思い出に残っているのは、The Otherステージが出来た時。つまり、Glastonburyに、ダンスミュージックが主役となるステージが生まれた時だ。 時が経つに連れ、毎年6月の最後の週末は、参加者それぞれにとって深い意味合いを持つものとなる。音楽と泥にまみれる週末、Glastonburyは、世界最高のフェスティバルだ。
RA