Moritz Von Oswald Trio - Fetch

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  • 過去3年間において、Moritz von Oswald Trioは即興性の強い、フュージョン期のMiles Davisやダブテクノ的なフィルターを通したエレクトロ・アコースティックの手法でそのグルーヴを探求してきた。そのアプローチは、彼らが新しいアルバムを発表するごとに微細な変化を遂げてきた。彼らのデビュー作『Vertical Ascent』では、荒々しくも均整のとれた骨組み剥き出しのモノクローム的なインダストリアル・パルスを以てヒプノティックなサウンドを展開していた。そのサウンドは2010年にリリースされた『Live in New York』でさらに強化され、70年代のクラウト・ロックに由来するサイケデリックな色彩さえ帯びつつあった。さらに、昨年リリースされた傑作『Horizontal Structures』ではそのタイトルに相応しく、収録された4つのトラックすべてが煙で霞んだアンビエント的な楽曲で統一されていた。そして今回届けられた『Fetch』はこれまで彼らが手掛けてきたアプローチがついに臨界点に達したかのような印象を受ける。von Oswald、Vladislav Delay、Max Loderbauerの3者によって達成された濃密かつ多様性溢れる作品だ。 全体を覆うムードという点に関して言えば、このアルバムが持つ陰影豊かで不穏なアトモスフィアは彼らのデビューアルバム『Vertical Ascent』に呼応しているし、von Oswaldのポスト・パンク的なルーツを反映している。そうした特性はアルバム1曲目の"Jam"においてとりわけ顕著で、この曲ではSebastian StudnitzkyによるトランペットとMarc Muellbauerによるベース(彼ら2人のミュージシャンの参加によって、さらにMiles Davis的な色彩が強まっている)が活き活きと溶け込んでいる。『Vertical Ascent』と本作のリンクをもうひとつ決定づけている点といえば、Delayによる自作パーカッションの存在だろう。これまでこのグループがリリースした4作のレコードのなかでも、『Vertical Ascent』と本作におけるDelayのパーカッションが与える金属質なテクスチャーの存在感は際立っている。"Dark"や"Club"(本作では最もテクノ的な色合いが強いトラックだ)といったトラックを通して、Delayは非常に豊かなリズム構造を組み立てながらも同時にそこから大胆に逸脱しようとしており、錆び付いた鉈を研ぎ石にあてて緩慢に往復させるかのような感覚を与えている。 これまでのアルバム3作とこの『Fetch』のあいだにある共通点といえば、それはやはりこのトリオの即興的なインタープレイが軸になっているという事実であり、von Oswaldはプロデューサーとディレクターを同時に務めながらそれらを一体にまとめあげている。『Live in New York』や『Horizontal Structures』は綿密なサウンド構築の上に成り立っているというよりはライブ・ジャムをそのままドキュメントとして閉じ込めたかのような印象があったが、その点ではこの『Fetch』も同様だ。それだけでなく、von Oswaldの役割は全体を統轄すると同時にそうしたライブ・ジャムやインタープレイを絶妙に弛緩させてもいるのだ。言うなれば、「変幻自在のオーディオ・エンジニア」(King TubbyとMission of BurmaのMartin Swopeが合わさったようなものと考えれば良い)といったところだ。そうした点を踏まえると、『Horizontal Structures』からこの『Fetch』にいたるまで繋がる一本の太い筋が見えてくるだろう。このグループが奏でる無数のトーンとサウンドを絞り出し、ひとつに束ねているのは他ならぬvon Oswaldなのだ。アルバム中最もダイナミックな"Yangissa"を聴いてみるとよい。じわじわと動くアフロ調の揺らぎにJonas Schoenの鍵盤が絡み、14分のトラック全体を使ってvon Oswaldは実にじっくりと全体のリズムを切り崩していき、やがて鋭敏きわまりない灰褐色の粘りを帯びたグルーヴが噴出するのだ。 しかし、もう少しvon Oswaldがコントロールした方が良かったのではないかと思わせる局面があるのも確かだ。"Jam"や"Club"は確かに素晴らしい出来映えではあるのだが、あまりにも長尺すぎるきらいもないわけではない。もう少し短くまとめたほうがより幅広いリスナーにアピールするかもしれない(まあ、そういうリスナーは満足するまでにかかる時間をじれったく感じてしまうのだが)。ともあれ、この3人の手掛ける作品が好きで、しかもMiles Davisのファンであれば、Miles Davisのフュージョン期の緊張感溢れる作風と同じ延長線上にあるものを確かにこの作品に見出すことが出来るはずだ。
RA