ASC - Out Of Sync

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  • サンディエゴ出身のASCは2009年のアルバム『Autonomic』において見事に自身のサウンドの個性を再定義してみせたが、それ以来も自身が出来ることをすべて証明し続けている。レーベルの運営であろうと、自身のマテリアルのみを使用して展開する2時間のテクノ・セットであろうと、Mindspan名義としてのアンビエント・アルバムであろうと、そこには彼以外の何者でもない個性が確かなかたちで表出しているのだが、その一方で彼はもはやドラムンベースのレコードは作らないのだろうと思われていた。170BPMでほぼ統一された2010年の傑作アルバム『Nothing Is Certain』はたしかに一般的なドラムンベース作品ではなかったが、それ以来ASCことJames Clementsは170BPMというテンポを頑なに避け続けてきてもいるのだ。前作リリースから多忙な2年間を過ごしたのち、彼はついに170BPMという慣れ親しんだテンポに帰還し、ニュージーランド/ベルリンのSamurai Musicからのニューアルバム『Out of Sync』をリリースした。 たしかにこの『Out of Sync』は170BPM近辺のテンポに立ち返ってきているとはいえ、そこには前作ほどのストレートさは見られない。その重厚なリズムはまるでひたすら重苦しいアトモスフィアのなかを歩き続けるような感覚だし、アルバム中もっともアグレッシブなトラックであってもそのリニアなリズムの蠢きはテックステップ的というよりはテクノそのものだ。ASCならではの音世界もこれまでになく壮大なものになっており、これはおそらく映画のサウンドトラックにおけるサウンド・デザインを手掛けた経験が活かされているのだろうと推測するが、この『Out of Sync』に通底するムードは洞窟のなかにいるような、細かな金属やシンセの破片が跳ね回るサウンドの空間性だ。そのサウンドはMonolakeのアンビエント諸作を思わせる部分もあり、その丹念に彫刻されたサウンドデザイン、細心の注意が払われたテクスチャーはまさしくパーフェクトと呼ぶほかなく、その金属的なサウンドは人間の手によって作られたものとはにわかに信じがたいほどだ。 Clementsはステレオ空間をフルに活かし切っていて、非常にディープで深遠、かつ濃密なリスニング体験を用意してみせている。"Oneironaut"でのオフビートの隙間を滑り落ちるリバーブがかったコードの音色は、たとえそれがアルバムの1曲目でなかったとしても極めて衝撃的で、左チャンネルから残像を残しながら右チャンネルへとパンニングしていく様は実にスリリングだ。このアルバムでは暖かいリバーブの感触が随所で印象的な存在感を示しているが、それらは決してだらだらと惰性で用いられているものではなく、むしろ非常に的確に「ここぞ」という場所で用いられている。"Spheres"でのビートレスの冒頭であっても、そのサウンドのムーブメントの背後では非常に繊細な痕跡を埋め込んでおり、その細部にわたる繊細さという資質は彼を個人的に最もフェイバリットなアンビエント・プロデューサーとして挙げるに十分なものだ。ドローンが明滅し、非常に仄かな炎がその表面を撫でていく"A Song For Hope"といったインタールードにおいても、その繊細さは冴え渡っている。 整然としたファンキー・トラック"Glass Walls"は別として、アルバムの前半はこのように驚くべき繊細さで満たされているのだが、アルバム後半ではあくまでもその繊細さを引き継ぎながらも一転して彼の初期作品を彷彿とさせるようなヘヴィーなブレイクを叩き込んでくる。"Prometheus"は猛然と突き進み、その緻密に設計されたサウンドは破綻の気配を一切も見せないのだが、その内部では非常に熾烈な激しさが秘められてもいる。毒気が強くにじむ"Blurred Pictures"はひたすら捻れを繰り返しながらまるでピークタイムのテクノ・トラックにも聴こえるほどのグルーヴへなだれ込み、ここ数年Clementsが手掛けたトラックのなかでも屈指の強烈さを放っている。このアルバムが持つキャラクターを端的に表すとすれば、それは内容の明快さにある。その明快さはマシーンによる過激なサウンド加工を経てさえもまったく鮮やかさを失っていない。彼のキャリアにおいて最も一貫性の高い、意欲的なアルバムだと断言しよう。
RA