WOMB ADVENTURE 2011

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  • 東京都内から電車で幕張メッセへ向かう途中、東京駅でJR京葉線に乗り継ぐ。JR京葉線のホームに辿り着くには駅構内を10分程移動する。その道のりで、同じく京葉線沿線に位置する東京ディズニーリゾートから帰宅する人々と次から次へとすれ違う。彼らは、ディズニー映画の世界を忠実に再現するためオーディオアニマトロニクスをはじめとする多様な最先端テクノロジーによって徹頭徹尾細部までコントロールされた空間で、あらかじめ用意された誰にでも経験可能な「夢」を消費したまさにその帰路であろう。そんな「夢」の国帰りの人々を横目にわたしは夜の「冒険」へと足を急ぐ。この長い乗り継ぎの道のりと電車移動は徐々にいつもの「わたし」から「冒険」モードへ変容していくための過程であり、序章なのだ。 JR海浜幕張駅に到着し、同じく「冒険」へ向かう人々と幕張メッセへと歩き出す。オフィスビルやショッピングセンター、幕張メッセや千葉マリンスタジアムなど大型レジャー施設が集まるこの場所は雑然とした都内中心部とは違い、計画的な開発による広々とした近代都市の構造を持つ。特に施設や店舗が閉店した夜は閑散とし、冬の到来を感じさせる冷たい風が一層この場所を”無機質”な印象にさせる。いや、”無機質”という言葉は不適切だろう。むしろ人間という“有機体”による徹底した人工物の塊の街であるのに、そのイメージから身体性や人間性を排除してしまい、”無機質”という言葉で形容するほうが不思議に思わないだろうか。そんなことを考えているうちに幕張メッセに到着した。一歩会場に足を踏み入れると、鳴り響く力強いキック・ドラムの規則的なビートに心が躍る。ここが、近代都市というコンクリートジャングルにてエレクトロニックなビート音楽で歓喜するトライバルな空間”WOMB ADVENTURE 2011”(以下WA’11)の舞台だ。今夜はどんな「冒険」が繰り広げられるのだろう。 Photo credit: Ryu Kasai WOMBは渋谷で営業するイベントスペースとして今年で11年目を迎えた。世界的に多大な評価を受け、名実共に日本のトップをひた走るのは周知の事実だ。普段WOMBではさまざまなオーガナイザーが趣向を凝らした質の高いパーティーを開催している。しかし、WA’11でパーティーをオーガナイズするのはWOMBそれ自体であり、これは渋谷の本拠地を離れてWOMBが挑戦する「冒険」でもある。WOMBと参加者の両者にとって「冒険」を意味するとは何とも粋なダブルネーミングだ。 幕張メッセという会場は打放しコンクリートや高い天井が印象的な渋谷のWOMBと近い雰囲気があり、WOMBの拡張のような空間だ。WA’11ではまるでWOMBにいるかのような感覚を覚える人も多いだろう。このような空間の選択をはじめさまざまな点でWA’11におけるWOMBの姿勢とは、エレクトロニックミュージックのアーティストに通じるものがある。まず、パーティーでプレイするアーティストにとって最も重要な課題とは、パーティーピープルの意識をいかに音楽に向かわせ、どれだけ身体のノリをビートに同期させられるのかに尽きる。トイレやドリンクバー、チルアウト・スペースの数や配置、動線の管理における充分な配慮は、パーティーピープルが徹底して音楽の享受に専念出来るよう考慮されており、その意味でトップ・アーティストに値するだろう。また、アーティストはプレイにおいて楽曲や音色、ビート、フレーズ、さまざまな素材をパーツとし、自分なりの工夫でアレンジを加え、つながりあるものとして新たな可能性へ再構成させるという作業を行う。WOMBの新たな可能性を最大限に追求できる出演者の起用と時間編成、空間の選択や構成、ちょっとした遊び心や演出に垣間みるスパイス、などさまざまな要素がそのバランスで絶妙にミックスされたからこそWA’11というパーティーを実現している点でもまたトップ・アーティスト的と賞讃すべきであろう。 わたしが思うに、素晴らしいに匹敵するアーティストとは多大な努力を惜しまず裏切らない安定感を持ち新しい取り組みへの「冒険心」に溢れている。WOMBも同様であり、これからもそうであってほしい。 以上のような徹底した姿勢で展開されるWA’11は参加者にどんな「冒険」をもたらすだろうか。やはりテクノロジーに支配された複製可能なありきたりな経験なのだろうか。確かにクラブミュージックは複製のテクノロジーを前提に展開される音楽であるが、パーティーという場での経験に一回性を見出す点に固執する音楽である。パーティーの雰囲気とアーティストのプレイが互いの変化にリアルタイムの関係性を持ち、ミックスや加工の違いからもその日の音楽が厳密な意味でその日限りの音楽であるという特徴が、必然的に毎度のパーティーに異なる可能性を持ち込む。しかし、特筆すべきなのは人々が集まるという点ではないだろうか。 Photo credit: Yusaku Aoki WA’11は「たくさんの'パーティー=仲間たち'の輪をつなげて、最高のダンス・ミュージック・パーティーを作り出す」というテーマを掲げている。箱ではなかなか実現できない1万人規模のパーティーとなると、それだけでいつもより多くの出来事が起こる。仲間での参加に配慮した5人、10人、20人という単位でのチケットの販売形式も導入され、たくさんの仲間で参加した人々も多いように思う。そんな仲間での参加者が共に音楽とビートに歓喜し、出会い、呼応し、互いの仲間を横断するというパーティーピープルの普段通りの行為がこの規模になると「冒険」へと発展する機会を得る。テクノロジーで実現される空間での経験という点で東京ディズニーランドと同様であっても、虚構のキャラクターたちに寄り添うのではなくそこで展開される生身の人々による触れ合いに重きを置くという点で、用意された「冒険」ではなく一回限りの「わたし」の「冒険」をもたらすのではないだろうか。 「冒険」の指標となる音楽はWOMBらしい攻めのエレクトロニック・ミュージックで展開された。やはりビートとの同期の果てにある経験が「冒険」をもたらす。以下が時系列ごとのレポートである。 CADENZA/VAGABUNDOS AREAでのトップバッターはWOMBにてSURVIVAL DANCEのレジデントを務める“仲間”SATOSHI OTSUKI、TAKUYA、KIKIORIXだ。その“仲間”から繰り広げられるプレイはパーティーピープルをあたたかく迎え、フレンドリーな雰囲気を作り上げた。また、WOMB WORLD WIDE AREAではWOMBの看板アーティストAKiがエネルギッシュなプレイを披露し、到着直後の人々の身体を心地よくほぐした。Ooooze×RAFT TOKYO AREA ではTEZ、KUSDA、HAL、TIMOというRAFT TOKYOの“仲間”のコンビネーションがそのセンスで新感覚をもたらした。   次いでCADENZA/VAGABUNDOS AREAではデトロイト・テクノのオリジネーター直系DJのCARL CRAIGによる骨太なプレイ。毎年パワーアップする緻密に積み上げられた音の絡み合いが発するエネルギーには圧巻させられた。WOMB WORLD WIDE AREAではバンド・サウンドでロックを軸にドラムンベースを展開しダンス・ミュージックに刺激を与えてくれるPENDULUM DJ SET & VERSEによるパフォーマンスだ。ボサっとしていたら置いていくぞと言わんばかりの勢いのあるプレイで身体が覚醒した。Ooooze×RAFT TOKYO AREAではCARLOS GIBBS とAOSAWAによる規定の枠組みにとらわれないジャンルの横断や独創的なプレイ・スタイルが面白く、聴き入れた。この時間はWA’11による洗礼かのようにヘヴィーなダンス・タイムであった。 CADENZA/VAGABUNDOS AREAではCADENZA /VAGABUNDOSの“仲間”ROBERT DIETZのプレイによりディープなリズム・ワールドへ引導され、WOMB WORLD WIDE AREAではCASSIUSのプレイの陽気なエレクトロニック・アッパー・チューンが展開された。ふと周りを見渡したらいつの間にかたくさんの人で埋め尽くされていた。 Photo credit: Yusaku Aoki CADENZA /VAGABUNDOSの“仲間”2番手はREBOOTだ。独特のグルーヴが随所に散りばめられ、いつまでもノリ続けられるプレイであった。個人的にまた聴きたいと思っている。WOMB WORLD WIDE AREAではエレクトロのベテラン・プロデューサーBUSY Pによる申し分ないプレイと、エレクトロの新鋭SURKINの自由奔放なサウンドが続いた。Ooooze×RAFT TOKYO AREAではダンスフロアのドクターRAHAによるエロティックなプレイが印象的であった。 CADENZA /VAGABUNDOS AREA のトリは”仲間”のリーダーLUCIANOがプレイした。直感的でパーカッシヴな音楽は、世界中でVAGABUNDOS(放浪者)としてDJを行ってきたワールドワイドな経験が反映されており、堂々たるものであった。WOMB WORLD WIDE AREAではSHINICHI OSAWAのイマジネーション溢れるプレイが繰り広げられ、DEXPISTOLSの飽くなき盛り上がりへの追求により最後までダンサブルな雰囲気が全うされた。全フロアで最後まで音楽が止まなかったOoooze×RAFT TOKYO AREAではDJ SOのプログレッシヴなプレイとRYO TSUTSUIの探求的なサウンドがパーティーピープルに「One more!」と叫ばせた。 喫煙スペースでもある“Red Energy”AREAではそこに居るだけで元気が湧くような真っ赤な演出がなされ、フレンチ・エレクトロのリーダーKITSUNEのGILDASなどのプレイにより絶え間なく音楽と戯れることができた。   クラブミュージックはテクノロジーによる規則的なビートを基盤に展開するため、幕張の景色のように一般には“無機質”と形容されがちである。しかし、その“無機質”な音楽がフロアで展開されると、人々の身体という“有機体”に直接作用するダンス・ミュージックとして身体性や人間性と切り離せない関係を表出させる。WA’11でのアーティストのプレイはどれも身体に響き、反応せずにはいられないものであった。こうして音楽と人々を結ぶパーティーにはやはり“有機的”な働きが根本にあるのだろう。おそらくパーティーの一回性はそこに起因する。そのように考えると、DIESEL特設コーナーにてVAGABUNDOSのメイクアップに挑戦した顔で、旧知の友が楽しげに言った言葉がやけに深密に感じる。 「人生パーティーです!」   Photo credit: STRO!ROBO 幕張メッセを出ると朝日とオフィスビルのコントラストがまぶしかった。東京駅での乗り継ぎでは、「夢」の国に向かう人々とすれ違った。彼らは今日も用意された「夢」を求めて虚構のキャラクターと戯れに行くのだろう。WA’11での「わたし」はどうだったのか?誰にでも経験可能な「冒険」を消費したに過ぎないのだろうか?そんなことが頭をよぎる。 しかし、パーティーという未分化な空間で人々との関係を通して、たとえ細部であっても「わたし」が変容し、その一部が新たに「わたし」として再構成されることだけは確かだ。明日からの「わたし」には新しい可能性がある、そう信じてパーティーの感覚を反映させることが「冒険」の成果なのだろう。 WA’11での「わたし」の「冒険」は複製可能なものではない。 紛れもない「わたしたち」の「冒険」だ。 reference: 長谷川一『アトラクションの日常 踊る機械と身体』河出書房新社
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