Anstam - Dispel Dances

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  • ダークきわまりないダブステップを収めた3枚のミステリアスな自主制作EPを残したまま2009年以降沈黙を守っていたAnstamだが、その間も彼らに対する我々の期待と興味は尽きなかった。だからこそ、今回Modeselektorのレーベル、50 Weaponsから唐突なカムバックをAnstamが果たすことになったと聞き、僕は嬉しさと驚きを禁じ得ない。そのニュー・マテリアルは以前の無表情きわまりないダブステップにジャングルの敏捷性を加え、さらに進化させたものであり、けばけばしいオカルト趣味も抑制されている。これはおそらく活動休止中にメンバーの再編成があった影響だろうが、Anstamにおけるメンバー構成の実態が常に不透明であるため決定的な要因だとは言えないだろう。どちらにせよ、Anstamがあらゆるスタイルとジャンルの隙間を縫っていくさまはスティームパンク的(訳注:前時代的なフィクションを現代的な手法で描写または再現すること)であるといえ、モノクローム的で色あせた感性をモダンなフォーマットに埋め込み、アールデコ的な形に仕立てるようなものだ。FACT Magazineに提供したミックスはそうした二重忠誠といえる彼ら独特のスタンスを示す好例であり、ジャングルやクラシック、はたまたダブステップやIDMを独自の感性のもと縫い合わせ、彼ら自身の複雑きわまりないリズムに還元させるというスタイルが如実に表れていた。Anstamが目指す、息の詰まるようなダークさはまさに恐怖の感覚にも近いものがある。 さて、ここに届けられた彼らのデビュー・アルバム『Dispel Dances』だが、彼らの音楽は恐怖的ではあるものの、もちろん直接的な恐怖を伴うものではない。アルバムは2つの相反する感覚を織り交ぜるかのように、全体を通して2つのパートに分けられている。『Dispel Dances』における最初のパートはまるで蜘蛛が這うようにリスナーの内面に侵入してくる。まるでまがい物のような悪趣味と誇張された恐怖が冒頭から襲ってくる。アルバム1曲目を飾る"Watching the Ships Go Down"はまさに息つく暇も与えさせず、彼らのトレードマークでもある鋭利なドラムとベースギター、分裂症的なピアノ、ホラー映画のモチーフなど現実世界からのサンプリングが渾然一体となってミックスされている。いかさまのバロック調を思わせるコードも非常にユニークだ。脈打ちながら減衰を繰り返すストリングスが曲中ずっと包み込み、メロディックなアクセントになりつつも無愛想なカウンターメロディとして機能している。 対するもうひとつのパートは薄暗い下水管のなかをひたすら漂うような連続性のあるムードに覆われ、ここではホラー的な演出は希薄だ。アルバムのハイライトでもある"I Shouldn't Even Be Here"は最近のAndy Stottの作品からの影響を溶かし込んだようなムードもあり、灼け付くようなハンドクラップと中毒性の高いアルペジオが強い印象を残す。"In the Bull Run"はジャングル的なリズムからは離れ、ガラージのビートが竜巻に呑まれてしまったかのようなサウンドを聴かせる。これだけ多様な要素を盛り込んでおきながらまだ満足できていないというわけではないのだろうが、"Black Friesian Monoliths"でアルバムは再び病的なムードを色濃くしていく。ここでAnstam独特の劇場的な偏向はストレートなダンスミュージックとして表現されている。ハウス的なハイハットは冷笑的なムードをたたえつつ、808のリムショットはいわゆる現代風のベースミュージックとの共通点を暗示させつつ、シカゴハウス・リヴァイバルをさらにダークに変質させたような印象を持たせる。 ジャングルの残影とB級映画的なスパイスを織り交ぜるという手法はあまりにも安易に映り、表面的な満足でしかないという意見はもっともであろう。しかし、この『Dispel Dances』はジャンル越境的な雑食性という点のみならず、それが計算されたものではなく直感に基づいたものであるという点において非常に成功している。ジャングルの残影と正面から向き合い、鋭敏でありながら同時に緻密にブレイクを組み合わせて単に心地用だけには収まらない、非常に集中力の高い作品を作り上げたことは非常に見事だ。Anstamはジャンル間のある特定の隙間だけを強調して取り上げるわけではないし、それをことさら拡げようともしない。ただそれらをすべて無慈悲に呑みこみ、噛み砕くのみだ。だからこそ、この『Dispel Dances』は単なるホラー趣味に終わらない。そうした演出の裏側には素晴らしい何かが潜んでいるのだ。
RA