音楽家の小杉武久が逝去

  • Share
  • 日本の実験音楽/サウンド・アートの第一人者がこの世を去った。
  • 音楽家の小杉武久が逝去 image
  • 音楽家の小杉武久が、2018年10月12日に食道がんのため死去したことが判明した。享年80歳だった。 彼は1960年の大学在学中に即興演奏集団「グループ・音楽」を結成したのち、ニューヨークを拠点とした前衛芸術運動のフルクサスへ参加。1969年から76年にかけては日本の即興集団「タージ・マハル旅行団」の中心人物として活躍し、世界各地でパフォーマンス活動を行い(インドのタージ・マハル寺院に到着するという伝説的なツアーでも有名)、74年には唯一となる傑作アルバム『August 1974』をリリースした。1975年には美学校にて小杉武久音楽教場を開設し、即興音楽集団イースト・バイオニック・シンフォニアを監修。(後にこのメンバーが集い、即興演奏集団Marginal Consortが生まれている。) 77年にアメリカへ移住後は、マース・カニングハム舞踊団の音楽監修をJohn CageやDavid Tudorらと務めたほか、個人としてもエレクトロニクスを駆使した作品やサウンド・インスタレーションの発表を行うなど、約60年に渡りコンポーザー、マルチ・インストゥルメンタリスト、サウンド・アーティストとして国際的に活躍してきた。コンセプトを提起し、既成の音楽という概念を拡張しようとするその活動は、集団即興、実験音楽、電子音楽、サウンド・アートなどの分野に多大なる影響を与えている。 ご冥福をお祈りします。
RA