

Waajeed、Specter、Lakuti、Gerd Jansonら多くのアーティストが、Theo Parrishの先駆的レーベルの20年を振り返る。
僕らがTheo Parrishを大好きなのは、彼が決して妥協しない人物だからだ。彼の哲学は明確であり(ヴァイナル、感情的なEQ使い、ジャンル分けを信じない)、また深遠でもある。2000年にリリースされたセカンドアルバム『Parallel Dimensions』のリリースノートでは、ダンスミュージックが持つカルチャー的ルーツとラディカルな可能性について触れている。『我々は、非常に冷徹な正確さをもって、ひたすら何かを消費するべくプログラムされている。自由意志ということが、何を生み出すかというより、何を購入するかという意味になっている。このプログラミングは、自由の身になり、踊り始めた時に妨害される。この、ダンスの中に見出された治療薬はリアルなもので、アフリカを起源としている。こうした描写や例えのすべてに当てはまる非現実的な純粋主義者とは、一体誰のことだろう?』
ParrishはSound Signatureで、過去に深く染み込み、同時に希望に溢れたより良い未来のブラックミュージックを形作るために、ソウル、ジャズ、ディスコ、シカゴハウス、デトロイトテクノという言語を使う。彼の音楽は深く、実験的でありながらも、ビリヤード場やジャズクラブ、埃っぽいレコード屋を思い起こさせるものだ。もちろん、僕らは皆、先述した描写や例えにあてはまる”非現実的な純粋主義者”であるから、最近20周年を迎えたParrishのレーベルSound Signatureをここで紹介するにあたり、こうした言葉を超えたところにあるものを彼と近しい人々から見出すことにした。デトロイト、シカゴ、ニューヨーク、ロンドン、ドイツのアーティストやレーベルオーナー達から、それぞれのSound Signatureのお気に入りレコードについて話を聞いた。
Pirahnahead
(90年代中盤~後半の)デトロイトはソウルフルな街で、まさに”ブラック”だった。初期の作品"Walking Thru The Sky”や"Heal Yourself And Move”は、そんな、誰もが何も持っていなかった時代、Theoがまだ飲み屋で働いていた時代のものだ。"Synthetic Flemm”は大・大・大傑作レコードで、自分はずっとプレイしている。当時はWarehouseやMusic Boxでプレイして、Ron Hardyもこのやばい曲で有り得ない位大盛り上がりしていた。

Synthetic Flemm
2007

Heal Yourself And Move
1998
Waajeed
Sound Signatureの初期作には、Theoの作品だとは全然気づかなかったものもある。90年代初頭のデトロイトでは、この自分の双子のような彼を、街のそこかしこで見かけたという話をいつも聞いていた。彼とは共通の友人や共通の趣味があったから、音楽性の上で兄弟分である以上に、Theo自身のことを遠くの兄弟のように思っていた。"Carpet People Don't Drink Steak Soda”が収録されている彼の最初のレコード「Musical Metaphors」のことは思い出深い。自分は当時、山のようにダンスミュージックを聴いていたけど、この曲はなんて”本物”なんだろうと思った記憶がある。ただストレートに聴いただけではダンスミュージックとは感じられないけど、その質感、感覚、生々しさが、まさにダンスミュージックだと感じられる曲だ。まるで酒場での喧嘩みたいだ。

Carpet People Don't Drink Steak Soda
1997
Theoのスタジオに定期的に通っていた時期があった。彼がレコードをプレイしたら、キーボードやら他の楽器の前に座り、そしてひたすら演奏する。だいたい15分から30分間くらいの間、とにかく演奏し続ける。質問なし、会話なし、ただヴァイブだけがある。多少調整は必要だし、自分の普段の手順とは違うけど、そうやって2~30時間分はセッションした。"Warrior Code”は、そうしたセッションから多数生まれたトラックの1つで、他にもその後聞くことはなかったトラックが多数ある。

Duminie DePorres
Warrior Code
2016
もし厄介事に巻き込まれたら、連絡したいと思えるのがTheoだ。僕らのコラボレーションは音楽的で、精神的で、感情的で、また肉体的でもある。つまり、一緒に他のグループの連中と喧嘩したこともあった。Theoは僕が一番大好きなクレイジーな人物だ。
Volcov
1998年、アムステルダムのParadisoでのRush Hourのパーティーで、Theoがこの曲をプレイしたのを覚えている。間違いなくテープからプレイしてたはずだ。確か午前5時ぐらいで、すぐに近づいていって曲名を尋ねた。その1年後、デトロイトに彼を訪ねていった時、もし良ければもう一度あの曲をプレイしてほしいと頼んだ。彼の車の中で、とんでもなく図太い音だった。その曲こそが数年後、アルバム『Parallel Dimensions』に収録された”Dreamer's Blue”だ。この曲にある、過激で妥協がなく、自由で、クオリティを重視したアプローチが、Sound Signature全体をも特別なものにしていると思う。もちろん、Theoは今も自分のフェイバリットDJ!

Dreamer's Blue
2001
Lakuti
インスピレーションに満ち、そして今もそれを伝え続けているレーベルからお気に入りを1つ選ぶのは、選ぶものが沢山ありすぎて不可能なので、私が一番最初に購入した曲”Sky Walking”を選ぶことにする。この曲を最初に聴いたのは、ノースロンドンのウェアハウスで行われた大晦日パーティーで、1999年か2000年に入ってすぐにKenny Dixon Jrがプレイしていた。このトラックには、マシーンミュージック、ジャズ、ソウルの間に完璧なバランスを見出すTheoの天才的な能力がよく表れている。

Sky Walking
1998
Theo Parrishは、私達の世代にとってのMiles Davisだ。彼の音楽の中には真実があり、彼は音楽を呼吸し、音楽に生きている。ファッションやハイプ(一時的な流行)ではない。隅に追いやられた人々のことを深く理解し、彼らに声を与えることができる人だ。彼は自身の音楽を通し、私達が人として生きる困難を描き出す。物事をプレゼンテーションする達人だ。00年代の初め頃、Theoがショーディッチに移転後のPlastic Peopleでプレイした時は大入りの満員で、室内には彼のセットが始まる前から期待に満ちた特別なエネルギーが溢れていた。彼がLarry Heardの”What About This Love”をプレイした途端、部屋全体が狂乱状態になった。私の前にいた日本人女性は顔に歓喜の涙を流しながら、文字通りDJブースにジャンプして飛び込もうとした。その瞬間、皆が一つになった。とても感動的だった。これがTheoの力だ。
Funkineven

Smile
1997
初めてラジオで"Smile”を聴いた時のことは良い思い出だ。確か、Kiss FMでやっていた4HeroかPhil AsherのR Solutionショーで、当時は未リリースの熱い音源を録音するためにカセットを用意していた。ロンドン市内を車でドライブしながらこの曲を聴いていると、いつもとてもインスパイアされた。その頃は楽曲制作を始めた頃で、TheoはMPCをよく使っているようなので、僕もMPCの使い方を学んでいた。思い出の曲は他にも沢山あるけど、『Sketches』に収録されてる”Thumpasaurus”も思い出深い。TheoがPlastic Peopleでこの曲をプレイした時は、相棒のFemiと一緒にぶっ飛んだ。一体どうやったらあんなクレイジーなグルーヴと拍子を作り出すことができるんだろう?

Thumpasaurus
2010
僕は幸運にも、当時Plastic Peopleで行われていたTheoのレジデンシーに存分に行くことができた。毎週日曜日はCoOpというブロークンビートのパーティーに熱心に通っていたので、そこで、Theoとは誰なのか知るよりも前に「土曜の夜に出演するTheo Parrishという人は絶対チェックしたほうがいい」という話を聞いた。一度彼を見たら、もう振り返ることなどできなかった。あんな風にロータリーミキサーを使う人は初めて見た。まるで小さなおもちゃでも扱うかのように自在にプレイしていて、もう呆然だった!僕が暗い箱の片隅でまるまる一晩、マサイ族の戦士みたいに飛び跳ねさせられてしまったDJやパフォーマーは彼以外にいない。信じられないようなエネルギーで、純粋な形でのDJとしては間違いなく、”最後のモヒカン族”的な存在だ。
Floating Points

Healing
2005
"Lost Keys," "Love Triumphant," "Renaissance"、そして"Her Song!!!!" はいつ聴いてもぶっ飛ばされる。だけど、余りある程多くの曲から敢えて1曲選ばなければいけないとしたら、”Healing”だ。TheoとPlastic Peopleとは切っても切れないほど密接な関係があり、ロンドン育ちの自分には、これらのレコードのコンテクストはよく理解できる。この曲をPlastic Peopleで聴いた時のことはきっと永遠に忘れないだろう。友人達と一緒にフロアにいて、みんなが”WTF(何これ?)”となった瞬間だった。きっとクラブで同じような思いをしたことがある人は大勢いると思うけど、Plasticでは大抵、Theoがいる時がその時だ。
Hanna
ミシガン州サウスフィールド、デトロイトの楽器店に居た時、Theoが偶然やって来た。僕はその頃Rolandに勤めていて、サウスフィールドの店にも行くことがあった。そこでは誰もがトラックを作ってたので、まるでバーバーショップにでもいるような感じだった。店内ではヒップホップのトラックを作るビートバトルも開催していた。Theoが来た時はキーボードコーナーに20人くらい居たけど、僕が「作ったばかりの新しい曲があるんですが」と声をかけたら、Theoは「是非聴かせてくれ!」って。それが、初めて彼が僕の曲を聴いた時で、店内で自前のマシンから聴かせた。曲はちょうど作業中のもので、Theoはそれをリリースしてくれた。

Cottage
2005
これが、フロントカバーに自分の名前、Warren Harrisと書かれた初めてのレコードだった。自分ではいつもHannaと名乗っている。当時、彼は僕がレーベルで唯一契約のあるソロアーティストだと教えてくれた。Theoはクールな人で、いわば兄貴分だ。僕らの繋がりは音楽面だけではなく、彼は自分が人生の中で出会えたことを素晴らしいと思える数人の中の1人でもある。彼とは、生き方や子供のこと、自分たちの関係性だとか、そういった類のことを話していて、音楽の話はほぼ二の次だ。彼は僕の音楽を気に入って、リリースする。そんなごく普通のビジネスだ。Theoと彼の家で過ごしている時は、一緒にJ DillaのレコードやJay-88の作品を聴く。ただ一緒に居て、聴きたいレコードを伝えれば全て持っていて、一緒に聴くことができる。そんなことができる数少ない人物だ。
Sassy J

Dark Matters
2005

Friendly Children
2003
レーベルのカタログ全てがフェイバリット・レコード。”Overyohead”、”Dark Matters”、”Capritarious #7”、”Friendly Children”、”Walking Through The Sky”、”Illumination”、”Going Through Changes”、”Black Mist”、まだまだ挙げられる。Duminie, Specter, Billy Love, Leron Carsonら、アーティスト全員とそのレコードもそう。私が初めて入手したSound Signatureのレコードは"Can't Take It”、”Moonlite”、”Walking Through The Sky”、そして(Jill Scottの)"Slowly Surely”のエディットだった。このレーベルを大好きなのは、音楽が真正面からぶつかってくるからで、創作意欲が湧いてきて、ペンやら布やらを持ってきて何か作り始め、踊りたい気持ちになる。ジャムできるグルーヴが沢山あり、間も存分にある!豊かで、純粋なインスピレーションであり、私の好きな音楽全てにフィットするから、実験的なことをしてみたり、音と音の間を旅したくなり、行った事のない場所へと行きたくなる。ジャズのレコードの前にプレイすると素晴らしく、その後に別次元へと連れていってくれる。ライブミュージックとエレクトロニックミュージックが隣り合ってお互いを引き立て合う。境界線はない。一体感がある。

Slowly Surely (Theo Parrish Remix)
2002
FIT Siegel
T.O.M. Projectの”Renaissance”のオープニングのハイハットは、よちよち歩きの幼児みたいにふらついてるが、ヘビーなキックがベースラインと共にバン!と入ってくると、思わず釘づけになり、身体が動きだす。8 MileにあるRick(Wilhite)の店、Vibes Musicでこのレコードを選んだ時のことはよく覚えている。自分が持っている盤はクリアブルーで、シングルサイド仕様だ。"Renaissance”は徹底したアシッドトラックだが、どこか違っている。突然変異のデトロイト・アシッドだ。リアルに薄汚れた雰囲気の中に雄弁なストリングスが出入りする。このトラックで一番心惹かれる部分は、とにかく躍動感があること。ひたすら打ちまくる!こうなったらもう、盛り上がって首を振りすぎて、首を痛めないように気をつけないといけない。この世界で一番リアルな3人であるTheo、Omar-S、Marcellus Pittman (T.O.M.)がプロデュースしたこのトラックは、自分にとって間違いなく、Sound Signatureのカタログの中のハイライトだ。

Renaissance
2006
Andrew Ashong
自分が初めてSound Signatureからリリースした作品はもともと、12インチに自分のオリジナルトラックが2曲収録され、両曲をTheoがリミックスしたものがまた別のEPとしてリリースされる予定だった。だけどある日、僕の地下スタジオにTheoと居た時、最近作った音を確認すると同時に、もう少し古いものも掘り出していたのだけど、そこで、すっかり忘れていたこのチューンを発見した。まだちゃんと構成してなかったので、ごく簡潔なものだった。ギター、シンバル、ドラムキット、フェンダーローズ、ヴォーカル。全てのパーツがただ置かれて、主張しては去っていく。全てがライブで、プログラミングではなく、ただ循環するグルーヴがそこにあった。
僕は何につけても、長々と引き伸ばしては脱線する癖があるが、とても簡潔なものや、もしくは、どう手を入れたらいいのか準備ができていないもの、他いろいろな理由があるものについては、そのままにしておくことがある。あの曲は再検討もしていなかったし、再度手を入れられるような状態でもなかった。けど、きっと耳が新鮮な状態で聴けばちゃんと準備が整っていたから、Theoはプレイしたいと言ったんだと思う。自分で頼んだわけではなく、彼がCDに焼いてほしいと言ってくれて、その言葉通りに何千もの人々に向けてプレイしてくれた。結局のところ、”完成する”って一体どういうことなんだろう?

Flowers
2012
僕は自分自身にスポットライトが当たるのが嫌だったけど、Theoはヴァイナルには絶対に自身のフルネームと写真を載せるべきだと言った。何故なら”皆が曲の背景にいる人物を知る事ができるようにしなければいけない”から、とのことだった。このリリースについては今でも、僕のことを”Theo Parrishのレコードで歌っている人”だと思っている人がいる(Theoはそれも予測していた)。実際のところ、いつも渋々歌っているだけのシンガーだというのに。僕は曲を書き、演奏し、プロデュースし、エンジニアリングもしている。自分にとって、ヴォーカルはあくまで楽器の一部でしかない。でも、たとえたった4小節でも、声が入っていることで人々の注目具合が変わってくるのだと思う。このレコードも、その他のレコード達も、LOUD Masteringの伝説であるJohn Dentなしには存在しなかった。どうぞ安らかにお眠りください。
Theoと過ごしたことがある人は皆知っていると思うけど、彼は自分の意見、考え方、物事に対して感じた事を伝えるのに、決して躊躇をしない人だ。彼はしっかりと見極めている人だと思うし、彼自身の芸術に対する、独立した説得力のあるアプローチは、創造の場ではありがちな、同質性に対する彼なりの答えなんだと思う。誰かが最初のきっかけをつくり、ルールを破り、慣習を破り、ミキサーを、アンプを、システムを打ち壊す。僕はいちアーティストとして、自分の情熱を表現する場を作り、創造意欲を発揮する時間を作り、躊躇や迷いによって抑圧されないでいることは、どれも必要不可欠だと考えている。Theoのことを、何事も系統立てて考えすぎているタイプだとか、ごく順当なことをしているタイプのアーティストだとは思わない。なぜなら、僕たちがアーティストとして何をするかを思う時、Theoの心は、非正統・非標準・定義付けされない、という方向に向いているからだ。僕たちのやり方は時に理屈じゃないように見えることもあるけど、その場での感覚に対してはちゃんと理屈が通っているものなんだ。彼は確かこう言っていた。我々は、異質(alien)でいるための、不可侵の(inalienable)権利を持っている。
GE-OLOGY
僕はここ約5年間、レコードの発表を休止していた。変化のために時間が必要だったし、2012年には自分のスタジオを西海岸に再建して、そこでまたレコーディングを再開した。焦っていたわけではなく、ただ、皆が僕がやるとは到底予想しないような、何か別のことがしたかった。このMarkとのコラボレーションは偶然出来たもので、本当のことを言うと、彼が僕の住処に家族と一緒にやって来て、滞在していたからだ。確かに、一緒に何かレコーディングしよう、一緒にツアーをやろう、という話は長年いつもしていたけど。
彼がキッチンで食事をしている時、僕はスタジオに居て作業に取り組んでいた。いざ曲をプレイして作業しようとすると、彼が「よう!」ってキッチンからスタジオまで走ってきて、「これ何?自分も参加させて。参加したい」という感じで。それで彼の機材をつなぎ、配線して、そのまま続けたんだ。本当に唐突だったけど、僕の作ったものを彼も気に入っていて、その上に重ねる形で彼が演奏した。僕もつい「おっ、これはやばいな」となったよ。僕達はすっかり”ゾーン”に入って、そうして出来たのがこの曲だ。

Moon Circuitry feat. Mark De Clive-Lowe
2015
Specter
“Overyohead”が自分のお気に入りだ。特に当時は、何か他とは全く違うもののように思えた。最初に聴いた時、ダンスミュージックだから拍音から始まってるのかと思ったけど、それが4つ打ちのキックだった。最初のEPと2作目のEPも聴いた記憶はあったけど、“Overyohead”を店で初めて聴いた時にはもうぶっとんだよ。リリース毎にどんどんやばくなっていて、いつも聴くなりハマってしまっていた。なぜなら、僕は以前からずっとこの手のサウンドに夢中だったからだ。僕は最初、クラシックハウスやディスコを聴き始め、90年代にはB12やBlack Dogなど、イギリスから来たテクノを聴き始めた。そこにSound Signatureの作品がやって来た。自分が当時聴いていた音に、ただただしっくりきた。

Overyohead
1999
"Pipe Bomb”のあと、Theoは「アルバムを作ってみては?」と尋ねてきたので、彼に数トラックほど渡した。その頃僕は、自分のレーベル(Tetrode Music)で数作品を発表し、もう一作、Sound Signatureから”The Gooch”を発表していた。ほんの束の間だったように思う。アルバム(2018年の『Built To Last』LP)は一番適切なタイミングでリリースできたと感じている。
Antal
Theo ParrishがElevate Recordsから発表した”Baby Steps”を見つけたのは、確か1996年頃、アムステルダムのMidtown Recordsだった。そこから追跡が始まった。初期のインターネットページで、TheoがSound Signatureから"Carpet People Don't Drink Steak Soda”というレコードを発表すると知ったけど、どうしたらそのレコードを入手できるかは全く見当もつかなかった。当時、Sound Signatureの作品はヨーロッパで、少なくともオランダでは、見つけるのがとても難しかった。その後、1997年になってRush Hourのストアを始めた僕は、当時のパートナーとハンブルグにあるContainer Distributionまで車を走らせた。そこにはSound Signatureや他のデトロイトのレコードが沢山あり、それがやがて僕らの店の独自のセールスポイントになった。1998年には初のパーティーの開催を決め、ParadisoにTheo ParrishとMoodymannをブッキングした。それが、彼がSound Signatureからリリースした”Dusty Cabinets”をプレイした時だ。あのチューンのサウンドは奇妙で、同時にすごく的を得たもので、皆すっかり大好きになった。2人にとっては初のヨーロッパでのプレイだったから、San Proper、Marsel Delsin、Serge Clone、I-F、Pim Clone、Aroy Dee、Volcov、Shinedoeなど、アムステルダムからも、市外からも大勢の人たちがショーに来ていた。その夜、TheoとMoodymannが、アムステルダムで多くの人々の心を掴んだ。

Summertime Is Here
1999
1999年には再度MoodymannとTheoをオランダに呼んで、ブルメンダールのビーチにあるSolarisという場所でパーティーをした。Solarisはもう無い場所けど、Woodstockの近くにあった。そのパーティーでTheoは、のちにSound Signature08としてリリースされた”Summertime Is Here”を始めてプレイした。まるで彼がダンスフロアにSun Raを呼び寄せたみたいだった。
Gerd Janson
まるで、子供達の中から一番好きな子供を選べという質問をされたみたいだ。でも、お気に入りの殆どは初期の頃の作品が多い。その頃の若さや熱心さといった、ごく個人的な理由でだけどね。当時はいわゆるディープハウスにはまっていたので、初期のSound Signatureのリリースはとても風変わりで、驚異的で、魅惑的で、独特で、地元のレコードストアに新しい12インチが届くたび思わず息を飲むような気持ちになった。”Dan Ryan”と、その裏面の”Walking Thru The Sky”のLiberation Mix、そして”Moonlite”をお気に入りとして選ぼうと思う。Parrishの初期の音楽はミニマルでアブストラクト、それでいて遊び心があり、想像力がかき立てられる。お決まりではない意味でディープであり、とんでもなく催眠的だ。

Dan Ryan
1998
KDJから発表された"Lake Shore Drive”で彼の名前を見た時のことを覚えている。この曲では、クラシックなR&Bやディスコのレコードからのサンプリングを並べ、そこに彼のお得意であるルーズなドラムプログラミングを加えるという素晴らしい形を見せてくれている。彼は、当時ほぼ終わりかけているように感じられたハウスミュージックのサウンドを、新鮮でエキサイティングなものに変えた。もちろん、例えばHerbertなど、彼と同じように挑み続け、同じくらいに革新的な人々も何人かいるが、聴いてすぐにそれとわかるのはTheo Parrishのレコードだ。1999年の1月か2月、ダルムシュタットのCafé Kesselhausで、寒い月曜の夜に彼のDJを見たのも思い出深い。彼はRolling Stonesの”Miss You”からスタートし、最後に白盤のレコードで終わらせた。それが後にSound Signature SS06の"Overyohead”だと判明した。当時のどんな音とも違っていたそのサウンドで、僕らはすぐに彼の曲だと気付いた。このレコードを聴く時は、その時のことを思い出さずにはいられない。

Moonlite
1997
Sound Signatureは、”Theo Parrishが作り、プレイし、気に入り、聴いた音楽という事以外、どんな区分にもおさまらない音楽”という当初の使命を今も遂行し続けている。彼自身のリリース、たとえば『American Intelligence』や『Sound Sculptures』から始まり、そして最新のSpecterのアルバムに至るまでそうだ。Theoが初期のリリースの連絡先の欄で問いかけていた質問「What do you sound like? (あなたの音はどんな音?)」に答える人達を見出せたことを、僕も嬉しく思っている。
そして、最後の一曲はこちら。

Solitary Flight
2002