

サイケデリック、オーガニック、トライバル。それらの要素をダウンテンポなテクノサウンドへと昇華するサンパウロ発のパーティー/アートコレクティブ、Voodoohopの首謀者に話を聞いた。

あなたの生まれはドイツのケルンですが、ブラジルに渡ったのはどういった経緯でしたか?
元々落ち着かない性分で、大人になってからいろんな場所を転々としていたんだ。ブラジルの前はスコットランドに留学して、人工知能とコンピューター科学について学んでいた。でも学位をとって働きはじめると、9時~5時の仕事はどうも自分に合わないような気がしてね。それで、一旦自分の考えをクリアにするために、3ヵ月間、南米の旅に出ることにした。その出発地がサンパウロで、すぐにブラジルのカルチャーとサンパウロの独特な雰囲気に惚れ込んでしまった。2週間の滞在するつもりが1ヵ月、2ヵ月になり……いつの間にか、パーティーと音楽制作をするうちに、9年も経っていたよ。
Voodoohopをはじめたのはいつ頃で、どういった経緯でしたか?
正直、僕がVoodoohopをスタートしたかは微妙なところだけど、およそ9年前から徐々にカタチ作られてきたという感じだね。サンパウロの歓楽街にある小さなバーから始まったんだけど、その一帯のエリアは、売春宿の客足が減ってきたことで、徐々にアーティストやヒップスター、一味違う夜遊びを求める人たちが集まるようになった。サンパウロにはそういうエネルギーが渦巻いていて、止まることを知らない街なんだ。リオデジャネイロのようにリラックスできるビーチがあるわけでもないから、楽しく過ごしたいなら何かをしなければいけない。自ら何かを作り出さないと、街に飲み込まれて、コンクリート・ジャングルを彷徨う何百万の一員になってしまう。
当時、サンパウロのエレクトロニック・ミュージックのシーンは、入場料が高くてダンスフロアで人々が自撮りをして楽しむようなクラブばかりだった。だから僕らは安い入場料にして駐車場や劇場、売春宿や廃墟といったちょっと変わっているけど、面白みのある場所で、一味違うパーティーをやることにした。そういうオールナイトのイベント・オーガナイズのほかに、屋外パーティーをやるにあたっては、サンパウロの行政と協力関係を作る必要もあったね。
あなたがDJを始めた頃のスタイルはどういった感じでしたか? また、好きなDJは誰でしたか?
僕が音楽を真剣に聴き始めたのはスコットランドにいた時で、グラスゴー出身のOptimoをはじめ、Boards of CanadaやFour Tetから影響を受けた。昔からダンスフロア向けの音と、もっと実験的な音をクロスオーバーさせるのが好きだったんだ。当時からエレクトロニック・ミュージックじゃない曲もたくさんプレイしていたし、パーティーを始めた当初は1980年代の曲やディスコもプレイしていたね。
今のあなたの個性でもある民族音楽を織り交ぜたようなBPMの緩いダンス・ミュージックを嗜好するようになったのはいつ頃で、なにがきっかけでしたか?
エレクトロニック・ミュージックのカルチャーでは、BPMが速いものばかりが注目され過ぎている気がして、せわしないなと思っていた。ブラジルでVoodoohopのパーティーに来る客は、エレクトロニック・ミュージックのバックグラウンドを持つ人ばかりではなく、ヒップホップやダブ、ロック、伝統的なブラジル音楽が好きな人もいるから、選曲の自由度が上がる。それに僕らはBPMを遅くしてもダンスフロアの雰囲気を壊さない自信がある。
BPMを遅くすると、ビートのあいだに“間”ができるから、BPMが速いときとは別の方法でグルーヴ感を作り出すことに集中できる。そういったグルーヴの作り方で、テクノのようなトランス感を作り出しつつも、もう少し落ち着いていて、息をつく間もあるという状態に到達できれば、いろんな決まりごとから解放されると思うんだ。誤解してほしくないけど、僕のルーツはドイツだし、もちろんテクノは大好きだよ。でも、歳を取るにつれて遅めのテンポのほうが、広い意味で自分の健康にもいいと感じるようになってきたんだ。


南米の民族音楽をリエディットをしたような感覚はどうやって生まれたのですか?
ブラジルに来る前は、ブラジルの音楽はおろか、ラテンアメリカ全般の音楽についてもさっぱり知らなかった。もともと僕は、ジャズ、ファンク、サイケデリック・ロック、それにハウスとテクノ、音の好みはすごくエクレクティックだった。それなのに、僕にとってブラジルと言えば陳腐なボサノバかサンバのイメージしかなかった。でも、本当は幻惑的な雰囲気、哀愁、豊かさ、グルーヴに深く根差した音楽文化がある。DJのセットにブラジルの曲が次第に増えてきたのは、いつの間にかそうなっていたんだ。僕が曲を作るときはいつもVoodoohopのパーティーのフロアを意識している。
Voodoohopの客はサプライズが好きで、異なるバックグラウンドの音が互いに結びつくのを楽しみにしているから、メランコリックでディープなブラジルのメロディやパーカッションを引用して、ベルリン・スタイルのテクノっぽい要素や音色と合わせるようになった。僕はどうもミニマリズムが好きみたいで、目標としているのは、ブラジルの音楽の真髄となる要素を見つけ、それをエレクトロニック・ミュージックの技法を使って展開していくことなんだ。伝統的なブラジルの音楽は時々密度が濃すぎるときがあるから、その音の真髄にある魔法を抽出して、ミニマルなダンスフロア風の音にしてみたいと思っている。だから僕のプロダクションは全てが南米の音楽に由来してるわけじゃないよ。オーガニックなテクスチャーとパーカッションが入った、ダビーでダウンテンポなエレクトロニカのインストゥルメンタル・トラックなんだ。
Voodoohopありきで今のあなたの音楽性は培われていったのですね。それに加えてVoodoohopに所属するアーティストたちも、あなたのように緩めのBPM、民族音楽をリエディットする感覚が、共通しているように感じます。アーティスト同士で何か共有しているものはありますか?
Voodoohopのアーティストたちが共有しているものは、サイケデリックなサウンドの追求、オーガニックなテイストに人工的な要素やトライバルなリズムをミックスすることだね。僕らの音楽はブラジルの伝統音楽からの影響が大きいけど、既存曲をリエディットするだけでなく、そこから一歩先へ踏み出すようにしている。Voodoohopにとって初のコンピレーション盤『Voodoohop Entropia Coletiva』を聴くと分かると思うけど、ブラジル音楽のサンプリングは時折入っている程度で、僕らの今のスタイルがほぼオリジナルとして構成されている。
いわゆる民族音楽とエレクトロニックのクロスオーバーというのは最近、随分ファッショナブルなものになってきているけど、そういったところには居心地の悪さを感じる。だから、僕はミュージシャンと一緒にレコーディングしたり、コラボレーションしたり、自分で録ったフィールド・レコーディングを使うことで、自分のスタイルを進化させていこうと思っている。それに、一人のヨーロッパ人としては、ただブラジルの伝統音楽をリエディットして利益を得るというのは、非常に微妙な問題に発展してしまう事でもある。僕は今こそ、文化の盗用について考え、話し合う時だと思うね。

VoodoohopではDJだけでなくヴィジュアル・アーティストやダンサー、ブラジルの伝統的な儀式などを取り入れるというコンセプトがありますが、これらの考えは最初から明確に持っていたのですか?
そうだね、Voodoohopのパーティーは最初からさまざまな種類のアートやパフォーマンスを組み合わせていた。そのコンセプトにはデコレーションを担当するクルーがいたり、ヴィジュアル・パフォーマンスのアーティストを招いたり、インスタレーションなどもパーティーの要素として含まれている。それと、周囲の人たちをいろんな方法で巻き込むことも重視していて、パフォーマンスする人と周囲の人たちの境界線を曖昧にすることも意識している。ブラジルではパーティーに来る時、しっかりドレスアップ(もしくはドレスダウン)して来る人が多い。だからどんなアーティストを観たいのか、パーティーに来る人から意見を聞くようにしているよ。そうすることで、このパーティー自体に彼ら自身も関わっていると感じられると思うんだ。
あなたはコンピューターを使ってプレイしていますが、どんな経緯でそのスタイルに落ち着いたのですか?
もともと僕はDJよりもミュージシャンになりたい気持ちが強くて、子供の頃にはリコーダーとピアノを習っていたんだ。だから、自分で作ったサウンドをプレイすれば、それは僕にしかできないユニークなものになるし、オーディエンスとも個人的なレベルからコミュニケーションできる気がする。その点でも、コンピューターを使えば、ドラム・シーケンサー、エフェクト、シンセサイザーや、アコースティック音楽からのサンプルをフレキシブルに扱える。プレイしているその場で音をコラージュできるし、自分だけの楽器やサウンド、エフェクトを自由に作り出せるんだ。それがコンピューターを使ってプレイするメリットかな。ミュージシャンとしては自分の曲をプレイするなら、その場に応じて即興でサウンドを変えられるのが理想的だからね。
ソフトウェアは何を使っているのですか?
Ableton Liveだね。音を出したときにすぐに音を補正するために、サンプル音のミックス、ピッチ調整用のプラグインなどを使っている。例えば、バンドのトラックのようにテンポが揺れる曲でもビート・マッチングできたり、エレクトロニック・ミュージックを極端に遅くしてプレイしたり、シンセサイザーやパーカッションのチューニングを今プレイしてる曲に自動的にマッチングさせることができる。現在の僕のセットアップは、ラップトップとMIDIコントローラーが1台だけど、実際、ライブセットではかなり複雑なことをやっている。パーカッションのシーケンスをイチから組んで、フィールド・レコーディングの音、シンセサイザーの音などを加えて、ダブやディレイをかけたりしている。
コンピューターはあまりにも自由度が高すぎてちょっと辟易することもあるけど、プレイの仕方は常に変えていきたいという一種の執着心のようなものがあってね。歩みは遅いかもしれないけど、自分が満足いくものを目指して着実にやっていきたいと思っているよ。僕はレコードのカルチャーはリスペクトしているけど、CDでプレイするのには魅力を感じたことはないね。


最近はリズム・マシンやエフェクターを使ったセットも披露していますが、コンピューターで完結しなくなったのは理由は何ですか?
それはセットアップを毎月のように変えているからだよ。今は外部のリズム・マシンを使っているけど、すべてラップトップに集約させている。最近はデジタルでプレイしたい気分だから、コンピューター内にあるソフトウェア・シンセサイザーやサンプラー、エフェクトなどの音色に感銘を受けながらプレイしている。それでも外部のリズム・マシン音を使うのは、自分の手で直接コントロールする感覚があるからだね。それとフィールド・レコーディングした音を以前から使っていて、金属やガラス、石、木の音、あとは虫の鳴き声などをライブの素材として使っている。それによってサウンドにオーガニックなテクスチャーを加えられるんだ。
それと、Voodoohopのクルーとはよくライブでジャムをするよ。みんなでVoodoohopのショウ・ケースをやるときはリズム・マシンやマイク、その場でループを組める簡易サンプラーや打楽器を揃えている。たとえ誰かひとりが単独でセットをやるときでも、みんながそれぞれのパートを持ち寄って、音を加えていくことが多いんだ。時々、誰がどの音を出しているか分からなくなることもある。カオスになってるかもしれないけど、ある意味そこに南米的な魅力があるんじゃないかな。それに、日本のシーンは実験的な試みに対してオープンだから、プレイする音の枠も広げられるように感じているよ。
日本のシーンをそう思う理由は?
自分の体験からもそう感じたし、それに僕の周囲にいるミュージシャンやDJ達にとっても、日本でプレイするのはとても特別な体験だと思っている。日本の文化は細部を大切にするし、サプライズや実験的なものにオープンだと思うね。プレイしていると、オーディエンスが真剣に音を聴いてくれているのが分かる。それがポジティブなフィードバックを生み出して、いつもの自分という枠を超え、もっと良いパフォーマンスへと導いてくれるんだ。
Voodoohopという集団の魅力を一言で表わすなら?
誰かが最近Facebookに投稿してくれた言葉が気に入っているから、それを引用させてもらうと、"ダウンビートなテクノに、ブラジルのフォークロアを少々、フェイクのシャーマニズムをひとつまみ、そこに、本気の自然回帰のトリップを添えて"だね。
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