• カート
  • RA Store
  • ログイン / 新規登録
  • ログイン
  • 登録
Resident Advisor
×
Search
Submit
Did you mean
×
  • Resident Advisor
  • Magazine
    • ニュース
    • レビュー
    • 特集
    • Videos
  • リスト
    • Events
    • クラブ
    • フェスティバル
    • フォト
  • Music
    • アーティスト
    • New Tracks
    • DJチャート
    • Podcasts
  • Search
  • 特集

Madteo: カルチャーへの飽くなき探求

  • 安物レコード愛好家、素晴らしく独特なレコードのプロデューサーにして、聞き手の精神を妙な世界に引きずり込む饒舌家。Matteo Ruzzonはまず他に類を見ない電子音楽家といえるだろう。Will Lynchが、Ruzzonの住むニューヨークのクイーンズ地区を訪れた。

    Madteoとして知られているDJ兼プロデューサーのMatteo Ruzzonはその日、クイーンズにあるリサイクルショップGoodwillに入店するや否や、わずか60秒で店を後にした。ガラスドアを押し、大きなショッピングカートと共に店内に入り、雑多な日用品が詰め込まれた青いゴミ箱容器の列を一通り物色する。

    「無いな」と彼は言う。つまり、「レコードが無い」という事のようだ。このリサイクルショップは彼のお気に入りディグスポットの一つだと言う。DVDの山をざっと見たあと、店の出口に向かう。「正直、いつもはもっとマシなんだよ。下手すりゃ丸一日居られるぐらい」

    暑い屋外に戻ると、Ruzzonは角を右に曲がり、かさばるメッセンジャーバッグの肩紐を調節しながら歩き、ヴァンダムストリートに向かった。「さっきの店は当たり外れがあるけど、ヤバいんだ。外れの日が何回か続いたとしても、また行くだけの価値がある。別にBasic Channelのレコードが見つかるとかじゃなくて、自分が探してるのは、ディスコにヒップホップ、ハウス、初期のハウス、そういうのだから」

    クイーンズブルバードに差し掛かると、地下鉄の高架橋がRuzzonの肩越しに見えてきた。これから本日の次の目的地に向かう。ジャズミュージシャンのBix Beiderbeckeの記念プレートがある場所だ。Ruzzonの華奢な体格とせわしない雰囲気は街なかでも目立っていて、ニューヨークが舞台のコメディドラマ『となりのサインフェルド』に出てくる、オーバーサイズの黄色いシャツにPalaceのキャップを後ろ前に被った人気キャラ・Kramerの姿に似ていなくもない。歩道を小走りに進みながら、Ruzzonは立て続けに、そしてあちこち脱線しつつ、さながら独演会状態で話し続けた。前の話題が完結しないうちに新しい話題に移ってしまうのだ。そうしてGoodwillを出発してからBeiderbeckeの記念プレートに辿り着くまでの間、ほかの話題を織り交ぜつつも、彼は自分の交友関係を明かしたり(「友達はゼロ人だよ、ゼロ人!」)、ニューヨークのデートの常識をディスったり(「とんでもなくややこしいし、それに完全にわけがわからない」)しながら、彼が如何にしてニューヨークまでやって来たかを詳細に話してくれた。














    「イタリアの故郷の近くにある、リミニっていう海岸沿いのリゾート地のクラブに通って遊んでいた」と彼は語りだす。「伝説的なクラブで、とんでもないアフターアワーがあったりした。まあとにかく、そこにニューヨークのロングアイランドから来た男がいて『良かったらニューヨークに遊びに来なよ』って話になったんだ。街に到着して、ミッドタウントンネルに連れていってもらったんだけど、まずトンネルに入る手前で、ブルックリンとクイーンズを分ける広い川が見えて、そこに橋というか、高速道路があった。多分ロングアイランド・エクスプレスウェイだと思う。その道がトンネルの入り口につながる所に、少し高くなった土手があって、そこからマンハッタンのミッドタウンの素晴らしい、煌めくような眺めが見えたんだ」

    Ruzzonは急に左に曲がり、道を横断した。「確か夕方頃だった。夕暮れ時の沈む夕日、薄明かりの中、クイーンズブルバード経由で来てミッドタウンを見た。まさに本物のエメラルド・シティだった。その光景にすごく惹きつけられて、それでもう決まりだ。1994年6月、今ではもうそれほどじゃないけど、ニューヨークが大好きになった。今や40過ぎの自分も当時は18歳で、それから今までずっと住んでる。もはや、良くも悪くも自分の人生だな」。そう言うと一瞬だけ、口を閉ざした。「よし、もうすぐそこだ。無駄話してたら時間が無駄になるぞ」

    『Leon "Bix" Beiderbecke、”young man with a horn” 本人』と記された、黒い大理石で出来た控えめなサイズの記念プレートがあった。(訳者註:『Young man with a horn』はBix Beiderbeckeをモデルに書かれた小説及び映画のタイトル)

    「随分小さいプレートだけど、とにかく彼も音楽界の偉人の1人だ」とRuzzonは言う。「Bix Beiderbeckeの音楽は悲しげだ。でも、彼はミドルクラスの白人だったから、例えばLouis Armstrongのように強い悲しみを感じることはなかったはずなんだ。だけどArmstrongの曲はどれも飛び跳ねるようで楽しげなのが不思議だ。自分は個人的には悲しい音楽のほうが好きで、いわゆるje ne quoi, je ne pas(フランス語で「私は知らない」)じゃなくて…あれだ、何て言うんだっけ?とにかく、音楽の中にある”je ne sais quoi(「何だかわからない」)”の部分が好きだ。少し悲しげで、美しい悲しさ…いや、別に美しくなくてもいい。嘆きの中に悲しさと喜びが混ざりあってる感覚。それがあるから、Bix Beiderbeckeが好きなんだ」

    Ruzzonは記念プレートをしばし眺めたあと、この先にあるアイルランド系地区のWoodsideに向かった。ここで自宅に戻る前にビールを飲んでいくという計画なのだ。向かう道すがら、この周辺についての知られざる事実を教えてくれた。「映画監督のCoppola一家は昔この辺に住んでいて、『ゴッドファーザー』にドイツ系ユダヤ人の肉屋の息子役で出てた、ユダヤ人の名俳優James Caanも住んでたんだ」。そうしてRuzzonはこれから入るパブを(おそらく適当に)選ぶと、勢いよく入店し、スツールに滑り込んだ。顎に手を添え、おおげさに悩んでる風のジェスチャーをしたあと、どうやらこれまで飲んだ事がないビールを頼もうとして、品名の発音間違いを店員に指摘された。「こういう時はこう言わないとな。『俺は船に乗って来たイタリア人だぞ!』」














    ビールが進むにつれ、Ruzzonは彼が敬愛する多種多様なアーティスト達について語り始めた。The Analogue Copsの話から始まり、彼が最近自伝を読んだというBo Diddleyの話まで及ぶ。「Bo Diddleyの曲で”Bo Diddley”って知ってるか?正真正銘、本気でロウなビッグチューンだ」。このところのお気に入りは20世紀の作曲家Morton Feldmanで、先日は新聞のThe New Yorker紙に掲載されていた、彼曰く「実に素晴らしい記事」を皮切りに、Feldmanの関連書籍を読み漁る一大リーディングセッションをしたそうだ。

    「うーんと何だっけ、ほら…あーもう!」彼は名前の記憶を引き出そうと目を瞑る。「その名前の由来になったのは、あのWilliam Faulknerが書いた…『American Sublime』!」。(訳者註: Faulknerの代表作『アブサロム、アブサロム!』の題名を言い間違えたと思われる。)

    Ruzzonの説明によると、Morton Feldmanは生前はあまり評価されていなかったが、今や幅広い賞賛を集めている。RuzzonはFeldmanのことを、いわゆる負け犬的な扱いを受けた音楽家だと思っていたが、実は先述のThe New Yorker紙の記事によって、自分との大きな共通点を見つけたのだという。そこにはFeldmanが『一人語りのチャンピオン』で、『近現代のニューヨークで最も偉大なおしゃべりの一人』であったと書かれていた。

    「Feldmanは”Rothko Chapel”という曲を書いているんだけど、この話が一番心に刺さった。これは彼が曲を書く数か月前に自殺した画家のRothkoへの追悼の曲で、聴いてみたら、自分が何年もパソコンの中で製作途中になってしまってる曲に似ていて本当に驚いた。でもそれは1971年に書かれた曲なんだ。とても厳格で、とても悲しい曲だ。Sähkö record辺りから出てる曲みたいで、自分が今作っているアンビエント曲をこんな風に仕上げたいと思ってた雰囲気に近かった」

    Ruzzonは自分の独自の楽曲製作過程が、主にAbletonとの”愛憎関係”によって入り組んでいる上、苦行のようだと表現した。Abletonはよく使っているものの、曲を完成させるのが難しくなる原因でもあるらしい。「曲に手を入れようと思ったら永遠に作業できる。1曲作るのに何週間もかかるんだ。大好きなTin ManやItalのような人から一緒にスタジオに入ろうと声をかけられたこともあるんだけど、自分はスタジオに入ったら数週間、もしくは数か月はこもりっきりになってしまう。10時間スタジオに入ったくらいじゃ無意味だ」

    ビールの残りを飲み干し、Ruzzonはバーテンダーにもう一杯お代わりを頼んだ。「Sensationalっていう、自分の曲にも参加してるラッパーがいるんだけど、わかるか?」とRuzzonが尋ねてきた。「奴とはもう20年来の付き合いだけど、自分の出す曲はリリースしてもまだ完成していないんじゃないかと揶揄してくる。彼は自分とはまさに真逆のタイプで、最初に出した音、最初に出したサウンドこそが正解だと思っているから、やり直しはしないし、それが彼らしいやり方だとまで思ってる。確かに彼はヒップホップ畑の人間だが、ヒップホップのプロデューサーにだって、毎日大量にトラックを作って、20個作った中から格好良いのを2個だけ選ぶような人もいるんだから、別に彼のアプローチが絶対正しいわけではないと思うけど。まあともかく、僕のやり方だと2000万回は手直しをする。目指すテクスチャーを出すためにトライアンドエラーの連続だ。テクスチャーがトラックの中で一番主体になってることもある」

    Ruzzonのサウンドに感じられるハウス、ヒップホップ、そしてアンビエントの奇妙なブレンドは、アバンギャルドというよりむしろストリート感がある。これは、音楽的にも人間的な意味でも、両方に於いて彼が体験してきた、とても普通ではない旅路の産物だといえるだろう。イタリアのヴェネト州で生まれ育った彼は10代のとき、交換留学生としてカリフォルニア州のクレアモントにあるピッツァー大学に通った。Ruzzonに言わせると「『アニマルハウス』(アメリカの大学を舞台にしたコメディ映画)にもっと国際的なフレーバーを加えた感じ」の生活の中、今の彼の音楽テイストの基盤となるダブやレゲエと出会った。「重低音は、人間が身体で感じることのできる音域だからこそ、こんなにいろんな人が音楽を好きになるんだと気付いた。自分についてはまさにその言葉通りで、これまで好きになった音楽はどれもボトムが重いやつばかりだ」

    その年の終わり頃には、イタリア北東部リッチョーネのディスコを中心にクラビングをスタートした。「あのエリアはアンダーグラウンドの最重要拠点のひとつだったんだ。いわゆるアドリア海岸、北部アドリア海に面したリミニには、いろんな人がプレイしに来てた。Tony HumphriesにFrançois Kevorkian、まだ結成当初のDaft Punkまで来て、レコードをガンガンに回してた。自分がよく行ってたのはClub 99というクラブで、もうとんでもなくワイルドで。営業時間は夜6時から正午までだ。そこまで有名な箱でもなかったけど、色んな国から来た音楽通ばかり集まってて、クラウドのほとんどが、午前4時の閉店時間まで働いてから来た他のクラブのスタッフだとか、DJにプロモーター、それにDJの友人みたいな感じだ。自分は単なる客で、錠剤を山程いっては、10時間くらいひたすら踊り続けてた」














    1994年の夏、Ruzzonはニューヨークにほぼ勢いで移住し、マーリーヒルにあるアパートを借りた。そこは当時、夜遊び業界の黒幕的プロモーターとして知られたPeter Gatienが運営する、複層階式のヴェニューClub USAのすぐ近所だった。そして数ヶ月後には、Ruzzonにとって初めてのDJ仲間になったニュージーランド出身のDJと共に、アルファベットシティにある元ギャラリースペースだった物件に引っ越し、部屋をシェアして暮らした。そんな90年代のニューヨークでの生活とクラビングを通し、Ruzzonは多種多様のサウンドに触れることとなる。「サルサ、キューバ音楽、メレンゲ、ダンスホール、ソウルにファンク、ロック、パンク、ニューウェーブ、ディスコ、何でもあった」。ルームメイトのDJはジャングルとドラムンベースが好きで、そこからRuzzonはトリップホップや、DJ Spooky、Mo Waxから出ていたコンピレーション盤の『Headz』、レーベルのWordsoundなどが発信していた、いわゆる”イルビエント”と呼ばれている周辺の音(Ruzzonは”ダブホップ”と呼んでいるが)などの、新たな音の領域に踏み込んでいった。WordsoundではRuzzon自身もパートタイムとして90年代末ごろまで働いていて、先述の話に出てきたラッパーSensationalも所属しており、2人はそこで出会ったそうだ。Wordsoundの音源は今でも彼のレコードコレクションの中で重要な位置を占めている。「こういうスローめの曲は、街のスピード感とよくシンクロしていると思う。よくできてるよ」

    Ruzzonはビール代を置くと、バーの外の通りへと出ていった。クイーンズブルバードの中央分離帯を横切り、階段を上った先の高架にあるメトロのプラットフォームに行き、超満員の車両に入っていった。他の乗客に当たらないように身体を折り曲げつつ、彼がそこからハウスやテクノに惹かれては離れたりを繰り返したかを説明し始めた。ハウスやテクノに引き戻されたきっかけとしては、Moodymannの『Silentintroduction』の影響が大きかったという。

    「あのレコードからどれだけ大きな衝撃を受けたか、今でもはっきり覚えてる」と、近くの乗客の曲げた肘の間越しにRuzzonの声がする。「宇宙的な感覚というか、余分なものは省かれていながらすごく豊かで、しかもサンプルをベースにして作っているんだ」。そうしてRuzzonはDJを始め、2002年にはその腕により、ユニオンスクエアにあるThe Union Square Loungeにて6ヶ月のレジデンシーを務めた。その頃、彼は誕生日のプレゼントとしてサンプラーを受け取ることになる。

    「BossのXBなんとか…XB-505のGrooveboxだったと思う。初めに手をつけるまで6ヶ月くらいかかったけど、そこから毎日、ほぼ一日中作業するようになって、2~3年後にようやく、作った曲をMyspaceにアップすることができた」

    それからまた数年後、RuzzonのMyspaceがある人の目に留まった。Rabih Beainiこと、Morphosisである。2007年、BeainiはRuzzonの初の12インチとなったSensationalとのコラボ曲”Basiado Beatdown”を、Morphine RecordsのサブレーベルであるLanquid Musicからリリースし、その1年後、ファーストLP『Memoria』をMorphine Recordsからリリースした。どちらの作品もイルビエントの影響を受けたヒップホップというサウンドを表現しており、ダークでぼんやりしたオルタナティブさと、独特でひねりが効きながらもアートっぽくなりすぎない雰囲気がある。

    最初のレコードをリリースし、そこからは流れるように事が進んでいった。Meakusma、Workshop、Sähkö、WaniaといったレーベルからRuzzonにリリースの依頼がかかるようになり、昨年には遂に自身のレーベルM.A.D.T.E.O. RECORDSを設立した。今のところ12インチ”Voracious Culturilizer Disco Mix”が一枚出ているだけだが、それにはダンスフロア用トラックに収まらない渾身のトラックも収録されている(B面収録のドローンアンビエント・トラック”offset”)。

    「以前はもう自分の家すら手放しそうな勢いでレコードを買ってた」と、ジャクソンハイツを歩きながらRuzzonは言う。「母親に頼んでレコードを買ってもらったこともある。特に音楽に関してだけど、自分はいわゆる音楽理論は学んだことがないし、楽器を演奏したいと思ったことも全然無かったから、楽器も演奏しない。まあ、それはどうでもいい。近所で付き合いがあるDaveっていう60代の人がいて、彼に言わせると『あんたなら、音楽理論を学ぼうと思ったって大して苦労しないでできるんじゃないか、絶対そうだ』らしいけど、多分彼の言うことは正しい。確かに苦労はしないと思う。しかしだ。しかしだけど、そんなことやったとしても、どうせ自分の時間の無駄使いだよ」














    RuzzonはそのDaveのところに寄っていくと決めたようだ。DaveはRuzzonが住んでいるのと同じ、ジャクソンハイツにあるコープ(訳者註 : 共同持株制の分譲アパート)に住んでいる。ブラウンストーンを張った外装の立派な建物で、これはRuzzonが90年代末、今よりずっと手頃な価格だった時に購入したものだという。Daveの部屋は1階にあり、ドアは見たところ開いていそうだ。するとRuzzonは、まさに『となりのサインフェルド』のKramerがやっていたように、ノックもせずに「ヘイ、Dave!」と部屋に突撃していった。

    大型犬が2匹、Ruzzonを出迎えるように駆け寄ってくる。「ハロー、Matteo」と、Daveの声がリビングから聞こえると、Ruzzonはキッチンに入り、自分用にウォッカとトマトジュースにスプライトを混ぜたドリンクを作り、リビングルームに入っていった。そこにはDaveの古くからの友人で、以前はTVショーや映画向けの作曲家をやっていたというDanny Troobも来ていた。

    年齢や見た目の違いはあるものの、3人の友情はごく自然で確かなもののようだ。セレブの薬物中毒、ユダヤ風ジョーク、Philip Rothの小説、それに血糖値を安定させるのがいかに大切かという話など、ありとあらゆるジャンルの話題がボングを回しつつ飛び交っていく。「Daveにはいろいろと心配されているんだ。例えば、自分の、その…ちょっとした、食生活の偏りのことだとか」

    一体どんな食生活なのか? Ruzzonが話し始める。「まず、自分はどっちかというと甘い物が好きなほうで…」と言いながら、一瞬周りを見回した。「蜂蜜をひと月に何ポンドも食べてる、というかむしろ、一週間で何ポンドも食べてる」

    しばらく考えた後、Ruzzonは再度口を開いた。「やっぱり、ちょっと、おかしいと思うか?ひと月どころか、一週間に蜂蜜を何ポンドも食べてるって言ってる人がいたら、やっぱりおかしいよな」

    実際、どうやってそんなに大量の蜂蜜を食べてるのだろうか?「え、蜂蜜のことか?」Ruzzonはいぶかしげにこっちを見る。「スプーンですくってだよ!蜂蜜っていうのはさ、必ずしも他のものにかけて食べるためのものじゃない。精製した白砂糖をスプーンいっぱい食べるのとは違う、それはさすがに気持ち悪いと思う」

    「自分はやってみたことがあるよ、他に何も無かったときの話だけど」と、Troobがフォローに入った。

    Ruzzonは続ける。「チョコレートとかナッツを大量に食べることもある。路上でナッツを売ってるの見たことあるか?そこのアンブレラ屋根に”Nuts for Nuts(『ナッツ馬鹿のためのナッツ』。妙な人、おかしい人をNutsと呼ぶのにかけている)”って書いてあるんだけど、まさに自分のことだ。僕こそナッツ馬鹿のナッツだ。ピーナッツがあれば、もう今日でこの世が終わるんじゃないかって勢いで食べるし、もっといいナッツを買う余裕がある時はマカダミアナッツを食べる。前回ベルリンに行ったとき本当に驚いたんだけど、ごく普通の店に行ったら、マカダミアナッツが1袋2ユーロだ!これだけは言いたいけど、そんなの正気じゃないだろ。もう、マカダミアナッツじゃなくて貴金属を食べてる気分だった。え、イタリアではどうかって?考えないほうがいい。多分イタリアでは売ってないし、売ってたとしてもミラノとかどっかにあるような菓子職人の店だな」。

    1時間ほど経って、Ruzzonは友人たちに別れを告げ、エレベーターに乗り込んだ。自分の部屋のある階に上がり、管理人にスペイン語で何か手短に言いつつ、このコープの来歴について語り始めた(「この建物はポーランド人男性が持っていた建物なんだけど、戦後の1940年代にはユダヤ人用の秘密列車の建物として使われていて…」)。そうして部屋の鍵を見つけると、部屋の中から音楽が聴こえてきた。リビングへのドアを開けると、本やレコード、アート作品で一杯の広いリビングルームがあり、中庭の反対側にブラウンストーン張りの壁が見えている。スピーカーからはうねるようなシンセの音が鳴っている。

    「Dream Machineの曲だ」と彼は言う。「Intergalactic FMを聴いたことあるか?一番気に入ってるラジオ局だ」。Ruzzonは座ってジョイントを巻きながら、DJプレイについて話しはじめた。この10年ちょっとで、彼のDJプレイにおけるアプローチは劇的に変わったそうだ。その主な理由は、彼が発表しているDJミックスシリーズ『1$treet Wax mix』からもよくわかる通り、安売りされているレコードの収集によるところが大きい。古いレコードを回してるとビートマッチングのスキルが上がるんだ、と彼は言い、イタリアの哲学者Benedetto Croceの名言をさらっと引用してみせた。「『すべての歴史は現代史である』」














    「長いこと、マンハッタンにあるタイ料理レストランでDJをやっていたんだけど」とRuzzonが言う。「その時、1ブロック先の25番街にある空き地を見つけたんだ。マディソンスクエアに近い6番街通りと5番街通りの間か、ブロードウェイと5番街通りの間の空き地で、普段は駐車場だけど土曜と日曜はフリーマーケットをやっていた。オールド・テンダロイン地区といって、昔からフリーマーケットが有名だったところなんだけど、その辺も他は殆ど屋内型駐車場になって、その15番街だけが残っていたんだ。フリーマーケットには2005年か2006年頃から2年前くらいまでずっと通っていて、安いレコードを何もかも買いまくった。主にディスコやジャズ、ヒップホップ、ラテンで、ハウスやテクノはあまり無かったけど、いわゆるプロトハウスとかポストハウスはあった。そして、買ったばっかりでまだ一度も聴いてない、バックいっぱいの安物レコードをそのレストランで文字通りお披露目していた。家から持ってくるよりも、とにかく新しく買ったレコードをプレイしたかったんだ。そうやって、フリーマーケットに行ってからレストランに行くのが毎週のお決まりコースになっていた。ずっと前はWパック仕様のレアなディスコのレコードを20ドルで買ったりしてたけど、それのオリジナル盤が50セント位で買えるって気付いてしまったわけだ。言われてみれば当たり前の事だった。『よし、ここが自分の場所だ。もうDiscogsなんか気にしない』って思ったね」

    独自のサウンドで人気とリスペクトを得たRuzzonだが、そのサウンドゆえに、ブッキングの機会はなかなか増えないようだ。「Bushwickに住んでる20歳が、土曜の夜にMadteoのライブセットでパーティー三昧とか有り得ないだろ。だから自分は、The Ace Hotelのルーフトップなんかでプレイすることはまず無いと思う」

    Ruzzonのどこか落ち着かなげな佇まいは、こういった状況からも来ているのかもしれない。自身の作品を作り上げているアーティストである一方で、クラブカルチャーそのものとは根本から反りが合わず、自身の居場所を見つけるのが難しいのだ。よりクラブ的なレコードが求められているのか、それとも通好みな保守派層のシーンに所属しているべきなのか、見極めかねている。彼自身の音はエクスペリメンタルと受け止められているものの、本人にしてみれば、そもそもダンスミュージックというだけで楽をしているように感じているようだ。

    「この世界では、己自身のことをすごく進歩的だと言ってみたり、エクスペリメンタルだと言ってみては、喜んでるふしがある」と彼は言う。「例えば、アウトサイダーという言葉はもう相当使い古されて、自分のような人間に対して毎度毎度使われている。でも実際には、自分も含め、誰もがすっかり飼いならされている。このダンスミュージックというものに関係するものは、何もかも飼いならされていて、みんな実質ゾンビになってしまっている。お互い自分を他人より良く見せようとしながらも、同じことをやり続けるだけのゾンビだ。クラブミュージックなんて操り人形とゴマすり野郎の集まりで、クールでホットなレコードを作れば、またDC-10からお呼びがかかったりするかもね、という世界だ。馬鹿馬鹿しいし、誰も本気で取り組んでない!」

    Ruzzonが最近読んだ本の中にぞっとするような一文があったという。Thom Holmesの著書『Electronic And Experimental Music』の中で、イタリアの未来派作曲家Francesco Balilla Pratellaについて触れられている部分があり、そこにはPratellaが「ダンスのリズムの支配を打ち壊したい」と望んでいたと書かれていた。その一文を読み、Ruzzonは「これが1911年の言葉か!」と、思わず息を飲んだそうだ。

    それでも、彼はレコードを作ろうとしているし、まだ密度の低い小規模なコミュニティではあるが、同じ志を持つAaron "FIT" Siegel、Acido RecordsのDynamo Dreesen、DJ Sotofett、それにDJ Fett Burgerといったアーティスト達と共に居ようとしている。それに、身近なところにも彼の音楽のファンがいるようだ。

    「自分が23、4歳だった頃、自分は他の24歳よりも音楽をよくわかっていると思っていた。自分はそろそろ42歳になるけど、そういう24歳達とは年齢を超えて関わっていたい。自分が彼らの歳だった時は精神年齢が高くて、いわば自分もある意味、20歳の時点ですでに40歳になっている部分があったわけだ。この辺にもそういう若者は沢山いて、多分、自分のレコードは彼らに向けて作っているんだと思う。とにかく、これからもこういうことを続けながら、変化し続けていきたい」









    • 文 /
      Will Lynch
    • 掲載日 /
      Thu, 7 Sep 2017
    • 翻訳 /
      Yuki Murai
    • Photo credits /
      Erez Avissar
    Share
    0/
  • Other Features

    More features
    • Top 10 October Festivals

      10月に世界各地で開催される注目のフェスティバルをチェック。

    • RA Sessions: Legowelt

      オランダ人アーティストが長尺ライブセッションを披露。

    • Label of the month: Lullabies For Insomniacs

      Izabel Caligioreは自身のラジオショーやミックスシリーズ、そしてレコードレーベルを通し、真夜中のリスニングにぴったりの音世界を創り出してきた。

    • Machine Love: SchneidersLaden

      モジュラーシンセ業界隆盛の立役者として活躍する人物に、Mark Smithが出会った。

    More features
    0/
  • More on Madteo

    • Madteo
      Follow

      Parts of me have been 40 since I was 20. There's plenty of kids like that out there, too, and I guess that's who I'm making records for.
      View the full artist profile

    ニュース

    • Thu, 12 Apr 2018

      コメントする

      Origin PeoplesがMadteo、Isorinneの新作を発表

      Madteoによる80分のミックステープと、スウェーデン人シンセアーティストIsorinneのアルバムをリリース。

    • Wed, 07 Oct 2015

      コメントする

      DJ Sotofettが最新EPでBjørn Torske、FITとコラボレーション

      制作期間3年に及んだ6曲入りシングルが間もなくリリース。

    • Fri, 31 Oct 2014

      コメントする

      DJ BoneがDIFFER-Entプロジェクトを始動

      デトロイト拠点のプロデューサーによる新名義でのデビュー作がDon't Be Afraidより12月に発売決定。

    • Tue, 17 Dec 2013

      コメントする

      The Analogue CopsがXenogears名義を蘇生

      Lucretio & Marieコンビの古い名義の、Madteoらのリミックスを加えたシングルが、ニューアルバムに先駆けて発売へ

    • Fri, 06 Sep 2013

      コメントする

      John TalabotがDJ-Kicksをミックス

      Hivern Discsの主宰者が!K7の人気シリーズの最新作を監修

    • Mon, 22 Jul 2013

      コメントする

      Marcellus Pittmanがジャパンツアーを開催

      Three Chairsの最若手が国内5都市に登場

    • Wed, 24 Apr 2013

      コメントする

      off-SonarでのRA VS開催が決定、Prins ThomasとDonato Dozzyが登場

      2人のDJがRA主催のパーティーでback-to-backを披露する。6月15日、バルセロナで開催。

    レビュー

    • コメントする

      Various - Soundtrack For No Film Vol.1

    • コメントする

      Madteo - Noi No

    0/
    • RA
    • Copyright © 2019 Resident Advisor Ltd.
    • All rights reserved
    • プライバシー & 利用規約
    • Cookie Policy
    • Resident Advisor /
    • About
    • 広告
    • Jobs
    • 24/7

    • RA Tickets /
    • マイチケット
    • チケットに関する FAQ
    • Resale
    • RAでチケットを売る
    • イベントを投稿

    • Apps /
    • RA Guide
    • RA Ticket Scanner
    • Elsewhere /
    • Watch on YouTube
    • Follow on Facebook
    • Listen on Apple Music
    • Stream on Spotify
  • English
    • RA on YouTube
    • RA on Facebook
    • RA on Twitter
    • RA on Instagram
    • RA on Soundcloud