

CDJの登場はDJのハードルを下げたかもしれないが、新しい刺激的な時代の到来も招いた。CDJが解き放ったポテンシャルをMichelle Lhooqが論ずる。
デジタル・カルチャーがDJというアートフォームの質を下げているという批判はあちこちで見受けられるが、これは危険で退化的な誤解だ。もちろん、確かに技術的なハードルが下がった部分があるのは間違いないが、重要なのはそこではない。未来を見据えた今日のDJたちは、自動ビートマッチといった機能に頼ってラクをするのではなく、CDJを楽器として捉え、ハウスやテクノの四つ打ちリズムという枠組みの外に視野を広げ、誰もやっていない新しい使い方を模索することに意識を置き、自分たちのポテンシャルを引き出そうとしているのだ。当記事ではこのDJカルチャーの最新の進化に迫り、これがいかに従来のターンテーブル中心のDJ文化への返答であるか、そしてこの動きが生まれた背景にはどういった社会政治学的な環境があったのかということに着目していきたい。
最初のCDJであるPioneerのCDJ-500(註:日本ではCDJ-50として発売)は、1994年10月に店頭に並んだ(CDJの歴史を辿ったJordan Rothleinの記事にもあるとおり、1992年にCDJ-300が出ていたという説もあるが、少なくともPioneer社は94年の500を正式デビューだと考えている)。ターンテーブルを触るように操作できるジョグ・ダイアルと、曲のキーを変えずにテンポだけ変化させることができる「master tempo」などの機能を装備していたCDJは、発売した当時からフィジカルとデジタルの要素を融合させたマシンとして異彩を放っていた。
その後に続くリリースで、hot cueなどのデジタル機能が充実していき、ジョグ・ダイアルが操作性の高いタッチセンシティブ・ホイールに進化し、大きさもよりポータブルで安定した小型サイズになっていき、2001年のCDJ-1000の登場で、現在親しまれているCDJの形が完成した。この多機能モデルの登場と、レコードの物理的、そして経済的な制限からDJを開放したmp3文化の興隆が重なり、CDJ人気が一気に加速した。「ニュース番組の音声だとか、人気の曲の一部なんかを切り取って、全く新しい方法でミックスしてしまうことができる」と、2001年のThe New York Timesの記事で、Richie Hawtinはデジタル機材でDJすることについて語っている。「全く新しい可能性への扉が開いたんだ」

2000年代初期には、クラブやフェスティバルのDJブースにCDJが置かれているのが当たり前の光景になった。しかしこういった機材が普及するにつれ、「DJたちはたいしたことをやっていない」という偏った見解も世間で広まりだしていた。
2010年代初期のEDM人気の沸騰が、この有害な偏見をさらに拡散してしまった。2013年に行われたGQのインタビューで、Aviciiは自身のセットの内容が全て事前に組まれていることを認めた。その記事で彼は、フロアを読んでその場で選曲するという、これまでのDJが誇りを持って磨いてきた技術は「年食ったDJがなんとか仕事が欲しくて言ってるだけのことのような気がする」と発言している。
2014年には、米コメディ番組『SNL』にて「When Will the Bass Drop?(訳:いつベースが入るのか?)」という、アメリカのメインストリーム・ダンス・ミュージック界が赤面せずにはいられない風刺コントが放送された。Andy Sambergが演じる「Davvinci」というDJが、ブースのなかでDJをするフリをしたり、「BASS」と書かれた大きな赤いボタンをなかなか押さないでフロアの客をじらしたりする内容であった。その動画はネットでバズり、EDM文化を見事に捉えていると各方面から賞賛を集め、Gizmodoのとあるライターは「この動画は爆笑パロディであるだけでなく、DJの本質を伝えている。スタジオで頑張って楽曲を仕上げたあとの彼らは、ステージでライブをするというよりは、ただ再生ボタンを大袈裟に押しているだけなのだ」と綴った。
CDJの台頭により、今やUSBと多少のミックスの知識さえあれば、誰でもDJが始められるようになったことに議論の余地はない。そして、RAのライターRyan Keelingが2016年に執筆したエッセイ『DJブースの労力』で指摘していた通り、トラックを選択し、自動同期ボタンを押してフェーダーを上げ、EQで調整し、必要であればループ機能でトラックを持続させてミックスする、というワンパターンのDJスタイルをCDJが生んでいるという主張も妥当だと思う。
しかし、そういった月並みなDJたちとは違い、CDJを駆使して斬新で実験的なことをしている人たちもいる。注目すべきなのは彼らのほうだ。
今年、個人的に特に印象に残っているセットが、キャパの半分くらいしか埋まっていないブルックリンのバーで見た、Joey LaBeijaとRabitの深夜のバックトゥーバック・セットだった。まるでふたりはイカれたゲームを楽しんでいるかのように笑いながら、CDJをサンプラーやドラムキットのように扱い、ピッチスライダーで極限まで音を歪ませ、常軌を逸したテクニックでCDJの特徴を最大限に活かしていた。cueボタンを叩いて、曲の一部を数秒間だけ何度も流したり、ピッチスライダーでBPMを80から400へと急速に変化させたり、ループ機能で音を何層にも重ねていた。無数の分解されたクラブ・サウンドで構築された、心拍数が上がるほどに刺激的なその世界観は、難解でありながら面白かった。
こういったセットを他の機材でやることは考えにくい。「自分たちがやっているようなことは機材と直結している。CDJでしかできないことをやっているんだ」と、Loticは2014年の032cのインタビューで語っている。「ターンテーブルでできることは限られている」と、同じインタビューでJanus主宰のDan Denorchも同意した。「昔、(ターンテーブルで)DJするときは音楽を止めないことが最重要だった」と、彼は言う。「しかし、今はもっと幅広いんだ」。10年前には「想像すらできなかった」ような音の操作がデジタル・テクノロジーによって可能になったことで、DeNorchはCDJが「新たなDJの仕方を生んだ」と考える。「全く新しいアートフォームだ」

このスタイルを象徴する特徴のひとつが不連続性である。彼らは幅広いジャンルの多様なテンポのトラックを断続的に繋ぎ、ときには目の覚めるようなサウンド・エフェクトであえて流れを絶つ。こういったDJたちの多くは、ハウスやテクノの定型である四つ打ちビートにとらわれることなく、音を断片的な素材として扱ってプレイする。前述のインタビューでLoticは自身のDJスタイルを「無作法で秩序を乱すもの」と形容しており、「滑らかな曲の繋ぎを拒絶」していると説明した。同じくJanus関連アーティストであるM.E.S.H.は、「他のシーンではスムーズな展開が好まれるけど、自分たちはそういうことにさほど興味がないんだ」と話した。
M.E.S.H.にメールで話を聞いたところ、彼はCDJを使うとこれまで制作した膨大なサウンドのアーカイヴを簡単に共有することができるため、「スタジオを覗きこめる小さな窓のよう」だと言った。彼はこれまでCDJを使って、異なる長さのループを混ぜて複雑な変拍子を作ったり、ピッチ機能を活用してグラニュラー・シンセに近い合成音を出すといった実験を繰り返してきた。最近ではCDJで再生する音を、自作したソフトウェア・ミックス環境を通すなどといったことをよくやるそうだ。
そしてCDJはラップトップやシーケンサーなどと違い、マスターMIDIクロックではなく手動で音の同期をすることができるため、より柔軟で自然な音の操りを可能にする、ともM.E.S.H.は指摘した。「直感的に手で音を操作することができると、自分らしさを出すことができる」と彼は言う。「楽器を演奏している気持ちになるんだ」
このDJスタイルを早くから取り入れていたもうひとりのDJ、Venus Xは、CDJには生々しい直接性があると語る。「CDJを使うと、DJ中に気をそらすことができなくなる」と、彼女はメールで説明した。hot cueを使ってトラックの一部分だけをかけることや、テンポの調整やループ操作を手動でできること、そしてミックス中にやっていることがオーディエンスにも全て聴こえるようなアグレッシヴな繋ぎができることなどを、彼女は理由に挙げた。「他のDJソフトを使うとそういった即興性とかに欠けて、すでに練習したことをただやっているだけのようなものになってしまう気がする」
こういったテクニックは、ヴァイナルでのDJプレイと根本的に異なることではないが、むしろ進化形のひとつであると言えるのではないだろうか。Frankie KnucklesやLarry Levanといったパイオニアたちは、2枚の同じレコードをターンテーブルでかけることで曲の一部分を切り取ったり、引き伸ばすようなエディット的プレイをしたり、ドラムマシンのビートを重ねて音を太くするといった革新的な技で伝説を残している。そしてM.E.S.H.は、コペンハーゲン拠点のDJ HVADがこういったCDJ的な断続的DJスタイルをターンテーブルでやっていると話す。「まるでレコードのhot cueが頭のなかに全て記録されているかのように、レコードのあちこちに針を置いてプレイするんだ」

しかし、DJを語る上で「旅」や「物語」といった比喩表現が頻繁に使われることからも解るとおり、DJにおいて連続性は昔から重要視されてきた。トラックを繋げて一貫性のある、筋の通ったストーリーを組み立てることができるかどうかが、DJたちの腕を評価する上で基準とされる。そういった規則正しさを好む傾向から、無秩序へとパラダイムをシフトさせているこのデジタルDJムーヴメントは、モダニズムからポスト・モダニズムへと変遷した時代を彷彿させる。20世紀半ばから後半にかけて勃興したポスト・モダニズムは、マルクス主義文学研究者のFredric Jamesonによって「後期資本主義の文化理論」と形容された批判的思考の潮流である。芸術、音楽、文学といった分野において、ポスト・モダニストたちは断絶、反乱、そして不安の募るテクノロジーの現状といったテーマを取り扱った。そして、それまで歴史的に無視されてきた人々が主張する場となっていたのもこのムーヴメントの特徴であり、ミシェル・フーコーなどポスト・モダンの哲学者たちが、文化ヘゲモニー(覇権)、暴力、権力からの除外、といった問題を助長する社会システムを批評した。
ポスト・モダニズムは第二次世界大戦終戦後の失望から生まれており、1989年のベルリンの壁崩壊が「ポスト・モダン時代」の到来だと言われている。そしてCDJの無秩序なDJスタイルを理解する上でも、要因となった社会的背景に目を向ける必要がある。『Art of DJing』特集でインタビューを受けたVenus Xは、ニューヨークのクィア/非白人を中心としたパーティー、GHE20G0TH1Kがこのスタイルを育む土壌となったと語っており、それは2008年に起こった金融危機の影響を受け、学生ローン返済に苦しむ若者たちがもがいていた2009年から2012年の時期と重なる。「自分たちの未来を描くことができなかった人たちが、それを音楽で表現しようとすると、どんな音になると思う?」と彼女は言った。「クソ純粋なカオスだよ」
同じインタビューでVenusは、GHE20G0TH1Kで確立された乱雑なDJスタイルは体制への反抗でもあると指摘しており、「現状の継続はホワイト・パワー(白人至上主義)を意味する。現状の継続は男性優位社会を意味する」と発言している。メールで、このことについて更に説明してくれた。「私が知る限り、たいていのDJは綺麗に曲を繋げることができて、秩序を乱さないようなプレイをすることができるかどうかで評価される。GHE20G0TH1Kの信念は…そういった伝統的に男性中心な価値観を覆して、音楽やナイトライフとはこうあるべきという保守的な概念を壊すことにある」
インディアナポリスのDJ Noncompliantは、THUMPのインタビューで、デジタル・テクノロジーがDJの社会的、そして経済的なハードルを下げたことで、女性やクィア、トランスジェンダー、非西洋人や非白人が参加しやすくなったと語る。「“今や誰でも音楽を作ったり、DJが始められるようになってしまった”と嘆く純粋主義者たちがいるけど、だからこそ良いことだと思う」と彼女は言う。「誰でも、っていうことは、それまで参加する機会が得られなかった人々も、っていうことだから」
実際、レコード収集家ではない私自身も、CDJに触れるまでDJをやろうとも思っていなかったうちのひとりである。DJのやり方を覚え始めたころに、とあるヴァイナルDJの同僚に言われたアドバイスは今でも忘れられない。ミックスの極意とは、ひとつの曲のバイブスを次の曲へとパスすること。バスケット・ボールのコートで仲間にボールをパスするかのように。プレイヤーは巧みにトリックをしてボールをコートのあちこちへと運ぶことができるけど、ボールを落としてはいけない。この喩えは、ターンテーブルでDJするときのスムーズな繋ぎ方を的確に表わしているけど、CDJのプレイにも同じことは言える。ただし、CDJの場合、ひとつのボールをパスすることにとどまらず、複数のボールを同時に空中に投げることだって、ボールを完全に解体することだって、破片をあなたの顔面に投げつけて、笑顔で中指を立てることだってできるのだ。
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