Joey Anderson in New York

  • Share
  • ブッシュウィックのサブウェイの高架下にひっそりと佇むBossa Nova Civic Clubは、現在ニューヨークの街で最もホットなダンスクラブの1つとして知られる。皮肉にも、この場所は全くと言っていいほどクラブっぽい作りではなく、やや長めのバーカウンターに、1900平方フィート(約180平方メートル)のダンスフロア、その奥にDJブースが配置されている。多くのパーティーやスペースからは、その考案者の人物像を想像しやすい。その為、Bossaの評判がこうして広まっているのは、全く驚くようなことではない。というのも、ここの創設者の1人であるJohn Barclayは、約10年間に渡ってブルックリンのアンダーグラウンドで活動し続けている人物だからである。 ダンスクラブとしては成り立たないようなこのロケーションも、薄暗いレイヴカルチャーの空間の中では輝く光のような存在である。バーの後ろのあるリキュールボトルの上には、スマイルフェイスが描かれた風船が具合よく収まっている。バーテンダーたちは、ベルリンのクラブでは定番のドリンク、クラブマテを快くサーブしてくれ、客はここに好みでウォッカを加えることもできる。DJブースもまた上手い具合に設置されており、小さなダンスフロアは時折ストロボの光によって明るく照らされる。なんとも落ち着く場所で、ベルリンにあるLoftus Hallなどの小箱によく似た雰囲気である。 ニュージャージの注目プロデューサーJoey Andersonが、先日このクラブで開催されたパーティーDown By Lowに出演した。同パーティーは、最近ニューヨークに移り住んだ2人の日本人DJが主催している。この日のオープニングセットを飾ったMasahiro Uedaは、以前は渋谷WOMBにスタッフとして、そしてレギュラーDJとして所属していた。彼のパートナーであるDrome Grungeは、Pacific Psychedelia Tapesというレーベルを運営している。UedaはここNYCで、自身の愛するクラシックハウスや現代のアンダーグラウンドハウスにフォーカスしたパーティーを行うことを目標としてきた。「僕のことを知っている人なんて誰もいなかった」と言うように、最初はなかなか上手くいかなかったことを彼は筆者に明かしてくれた。しかし、Down By Lowは始動してからまだ間もないが、既にHuerco S.やGalcher Lustwerkといったアーティスト達をゲストに迎えるなど、順調に波に乗っているように見受けられる。 ビートレスなエクスペリメンタルミュージックで幕を開けたUedaのセットは、45分程経った頃にようやくドラムのキックが鳴り始めた。このアンビエントなウォーミングアップに続いたのは、Drome Grungeによる1時間のハウスセットだった。彼は、Chez Damierの“Can You Feel”(MK's dub)などのクラシックスや、より挑戦的な現代のトラックを、面白いように繋いでみせた。24時を回る頃には部屋は人で埋め尽くされ(Bossaは24時から入場料がかかる)、その空間が実際のサイズよりも大きいクラブであるかのような感覚に陥る。Grungeは、Richie Hawtinが1990年に手がけたKenny Larkinによるロウハウストラック“We Shall Overcome”のリミックスをプレイし、その後Andersonにバトンを渡した。 ダンサーから建築エンジニアを経て、今や世界的に活躍するレフトフィールドハウスDJとなったJoey Andersonは、この日もブースからフロアに向けて一撃をかましてくれた。Levon Vincentによる“Solemn Days”や、Aphrodisiacの“Song Of The Siren”などのヒプノティックミュージックのクラシックスを織り交ぜながら、Andersonはオーディエンスを狂乱の渦へと掻き立てた。また、ピークタイムには両腕を宙に掲げるなど、そのストイックな外見からは想像できないような動きもしてみせた。彼が2時間程プレイした後はA.Ariasが登場し、まどろんだ目をしたクラウドにBPM132のテクノで追い打ちをかけたのだった。 Bossa Nova Civic Clubは、よくある近所のバーであると同時に、最高のダンス体験を提供してくれる場所だ。最新アルバム『After Forever』を素晴らしい世界観を披露したAndersonは、今回も我々の期待通りのパフォーマンスをしてくれた。
RA