Tim Hecker Japan Tour 2013

  • Published
    Jun 21, 2013
  • Words
    Resident Advisor
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  • 東京では今だに、ライヴショーのチケットがイベント開催日よりも前に完売することが少ない。エレクトロニックミュージックのアクトに関しては殊更である。しかし、モントリオールに拠点を置く音楽家Tim Heckerはそれを覆し、このことは彼がそれだけ注目されているアーティストであるという事実を証明した。都内の中でも最も過小評価されている音楽ヴェニューのうちの1つであろう会場に、筆者の期待を煽られずにはいられなかった。かつてミニシアター映画館だった、インターネットの検索エンジン泣かせの名を持つ渋谷のWWWは、以前の姿をできるだけ残した劇場のような内装となっている。フロアは階段状になっており、広々としながらも質素なコンクリート打ちっぱなしの壁の為、観客の視線は自ずとステージのみに向かう。踊る為のスペースがほとんどない為、ギグの場合は問題が生じることもあるだろう。(WWWの幅広いブッキングの中にはハードコアロックのライヴも含まれているが、そうしたイベントでモッシュが起きた時の場合は除くとしよう。)しかし、この内装によって観客の集中力は恭しいレベルにまで高められ、今回のようなギグにはピッタリだったように思われる。また、本会場は電圧240V設計のFunktion-Oneのサウンドシステムを装備する国内でも数少ないヴェニューでもあり(日本でのFunktion-Oneの普及率は著しく低い)、ミキシングコンソールはHeritage 3000を使用している。このサウンドシステムは国内最高レベルのうちの1つとの賞賛を浴びており、それはHeckerのライヴが始まるや否や事実であることが証明された。室内の全ての壁面に突き刺さるようなサウンドは、理屈抜きにクオリティの高いものであるとわかった。 筆者自身はアンビエントやドローンといったジャンルに関してはそれほど知識が深いわけではない為、Heckerのショウをサウンドの面から批評するのはいくぶん失礼な気がした。いや、例え筆者が自分の知識に自身があったとしても尚、彼のパフォーマンスを言葉で説明するのは難しかっただろう。無数のスタイルが渦を巻き、絶え間なくサウンドを構築し続ける。穏やかな流れの中で流れるノイズの振動が、じわじわと足から伝わってくる一方で、激しいノイズの渦の中で、まるで足がすくわれるような感覚に陥る瞬間もあった。そして、リヴァーブとディストーションの雲の真ん中に浮かぶような儚いメロディは、意識の中にまで入り込んできた。曲のテンションは下がったり上がったり、完全にイレギュラー。次にどんな音が鳴るのかが予測不可能な為、Heckerはまるでオーディエンスの共感覚を解体してしまうかのように、彼らの集中力を音一つ一つに向けさせることに成功していた。これはこの日のWWWのフロアが真っ暗で、Heckerがそこにいることだけがわかるようにごくミニマルなライティングが施されていたことによってより助長されたものであった。筆者の目がようやく暗闇に慣れてきたころ、周りを見渡すとほとんどのオーディエンスが無頓着にも目を閉じてライヴを聴いていることに気が付いた。一度筆者は誰かが床に置いたバッグにつまずいてしまったのだが、後になってそれはバッグではなく、しゃがみ込んでいた観客だったということがわかった。 WWW Official 会場にあった共同体のようなムードはオーディエンスの集中力の賜物であり、一時はほぼ瞑想的なレベルにまで達していた。筆者があのような雰囲気を感じたのはBerghain以外では初めてであり、携帯電話をチェックするのさえ気が引けたほどだ。一度だけスマートフォンの画面の光が見えたが、それは誰かが真っ暗闇のフロアをかき分けバーもしくはトイレへ向かう為に自分の足下を照らす為のものだった。Heckerはおそらく約80分間に渡りプレイしていたが、ライヴ終了直後は実際に彼がどれだけの間やったのかを分かっているオーディエンスはほとんどいなかったのではないかと思う。ノイズの狭間に時たま鳴るファンファーレのように、今回の彼のパフォーマンスは他のどこにも属さない、ミクロな瞬間の連続であった。個人的に、Heckerのセットは少し難しかったというか、困惑するような、もどかしい部分もあり、通常ライヴ音楽を聴きに行く際に抱く期待からは外れるものであった。しかし、実際に経験してみて大きく価値のあるものだった。その“バックグラウンド”が原因で筆者が長い間抱いていたアンビエントとノイズに対する偏見は完全に覆され、更に同じようなことが理由で聴くことを拒んでいた音楽で何か見落としていたものが他にもあるのではないか、という気分にさえさせられた。このように、普段は足を運ばないようなパフォーマンスを観に行ってみることによって、音楽の聴き方に対する疑問を考え直す機会に繋がることもあるのではないだろうか。
RA