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Ukawa Naohiro: その男、多忙につき
Ukawa Naohiro: その男、多忙につき

ライブストリーミングサイトDOMMUNEの主宰者が、自身の多岐に渡る表現に密接する、音楽への思いについて語る。

その表現はカウント不可能なほど多岐に渡る、そしてそれぞれが有機的に結びつき、また新たな表現のジャンルすらも生み出し続けている。映像作家、現代美術家、グラフィック・デザイナー、VJ、パーティーオーガナイザー、番組プロデューサー、さらに筆も立つし、弁も立つ、そして美術大学の教授すらこなしている。クリエイションのエネルギーの塊のような人物、宇川直宏。冒頭のように、さまざまな活動があるが、ここ数年の彼の活動で、最も代表的なものをあげるとすれば、それは間違いなく、DOMMUNEであろう。国内外のDJのプレイやアーティストたちのライヴ、そしてさまざまなカルチャーを内包し、さまざまな文脈に接続するトークショー(ときにアート・インスタレーションも)を配信する、まさにストリーミング・メディアの世界的先駆けだ。

 このDOMMUNEに端を発し、ついには一昨年は、東日本大震災の復興支援を目的として、エントランス・フリーという型破りなベネフィット・フェス、FREEDOMMUNE 0<ZERO>の企画にまで至ったのだ。Jeff Millsや冨田勲をはじめ、国内外のアーティストを集めたが、当日は暴風雨のためフェス自体が中止となってしまった。が、昨年も東日本大震災の復興支援のベネフィット・フェス、さらに無料という志はそのままに、Manuel Göttschingや、日本の著名な文豪である夏目漱石の"脳"を展示し、FREEDOMMUNE 0<ZERO> A NEW ZERO 2012として8月11日に幕張メッセにて復活することに相成った。

 さて、DOMMUNE、そしてこれまでの活動においてもそうなのだが、彼の表現は冒頭のように多岐に渡るものだが、活動範囲には必ずと言って良いほど音楽が、その表現に密接にリンクしている。今回は、DOMMUNEとそれを支える意志のひとつでもある音楽への思いを中心に話を訊いた。



Axis Records Presents "Science and Fiction - Jeff mills' 20 years of Exploration" (2012)


映像から現代美術のインスタレーション、グラフィック・デザインなど、宇川さんは、表現という意味ではさまざまなタイプのものをされていますが、それこそDOMMUNEがひとつの集大成だと思います。それらを通してみると、その表現の大部分は音楽に関するものが多いじゃないですか?そのあたりを聴きたいんですけど、音ということで一番の原体験ってなんですかね。

ダンスミュージックに限定すれば、やはり「芝浦GOLD」のJim Tothがデザインし、Hassy氏(SycomJapan/MetaDesign)が音響維持管理していたサウンドシステム。80年代中頃、当時NYに住んでた高橋透さんが高熱にうかされたようにパラダイス・ガラージに没頭していて、そこに「ツバキハウス」、「玉椿」、「クラブD」など、日本の伝説的なフロアをプロデュースした佐藤俊博さんという偉人が訪れ「これからはサウンドシステムの時代が来る!」と透さんに伝授されて本格的にサウンドシステムが導入されたプロジェクト。芝浦GOLDのオープンは89年ですね。当時は、"ナイトクラビング" 自体が目新しく、送り手も受け手もその体験に高揚しすぎて、どのクラブもサウンドシステムにまで意識が向かっていなかった。つまり、サウンド・エンジニアのRichard Longと、Larry Levanが作り上げた“モンスター・サウンド”を体験し影響を受けた彼らが、ナイトクラビングがようやく浸透した当時の東京に、(レゲエ/ダブのサウンドシステムではなく)ハウス鳴りのサウンドシステムを輸入した。なので僕のイーブンキックの原体験は、GOLDになると思う。そこでLarry Levanや、Tony Humphriesのプレイを聞いて、ハウスの醍醐味を調教されて、すっかり洗脳されてしまった。ヒトラーのプロパガンダを録音したオープンリールを、PAシステムでイコライジングし、グラウンドに埋めた極上のスピーカーで拡散させた、ゲッペルスの真価もそこで始めて理解できましたね(笑)。存知の通り、PAはパブリック・アドレスのイニシャルです。大衆伝達。つまり人の心は"音"で動く、と。

当時、サウンドシステムを体験して、何に心を動かされましたか?

例えば、ジャマイカのレゲエ/ダブのサウンドシステムやロック・フェスのPAシステムで物語れば、当時はラウドな音響がまだ目新しかった時代だと思うんですよ。勿論、ガラージも爆音だったと聞きます。その後、NYのクラブ、トワイロやシェルターのサウンドエンジニアだったSteve Dash(現、渋谷WOMB、フランクフルトのCocoonのシステムを担当)の存在を知り、僕はようやく "音場" としてのフロアを認識し始めました。その後、現在DOMMUNEのサウンドデザインをして頂いている浅田泰さんが音響を担当する "Life Force" というパーティに触れて完全にサウンドシステムに打ちのめされた。そこで体験したサウンドは大音量なのにフロアで対話出来るんですよ。それはトーレンスのターンテーブルに光悦のニードル使用など、ピュアオーディオを導入したDavid Mancusoのフロア哲学に近い。だから12時間フロアにいても全く耳が疲れない。本当に衝撃でした。浅田さんに教わった音響哲学は「フロアでは解像度の高い音を提供することが目的なので、爆音で鳴らすことが決して美徳ではない」ということ。さらには、いい音というのは主観的な批評だから一般には基準が無いということ。ならばクラブ空間の中で何をもって"いい音"と捉えるのかと言えば、つまりフロアの司祭であるDJが今この場所で鳴らしたい音、それが "いい音"である、と。要するに音量ではなく、解像度に僕の心は揺さぶられていたのだ、と思い知りましたね。その志を忠実に再現することを目的としたのが、DOMMUNEの前身のMixrooffice(2006年に設立、2008年にクローズ)でした。浅田さんを師と仰ぎ、Master Blasterと、Funktion-Oneを導入し、弱点を補って、東京で最も解像度の高いフロアを作ろうと精進しました。しかも、そのフロアは自らのデザイン・オフィスですよ!全く仕事が捗らない(笑)。

Mixroofficeは、本当に9階建てのオフィス・ビルの地下にありましたよね。オフィスをフロアにしようと思ったきっかけは?

僕とパートナーの他社比社(というクリエイティヴユニット)は常に世界を意識していたので、伝説的なフロアを解析しました。どうして世紀を跨いでも語り継がれるのか?僕らは一つの符号を見出しました。レジェンダリーなフロアは、実は、どこもクラブじゃなかったという衝撃の事実に気づいてしまったのですよ(笑)。まず、David Mancusoの「The Loft」は屋根裏でしょ、Larry Levanがレジデントの「PARADISE GARAGE」は車庫、Nicky Sianoの「THE GALLERY」は、画廊でしょ?Frankie Knucklesの「WAREHOUSE」は倉庫でしょ?にも関わらず、オフィスはなかった!オフィス・ラブは罷り通っているのに、その現場でハウスは鳴っていなかったということです(笑)!なので僕らが、Gwen GuthrieやLoleatta HollowayがOLとして働きたいと思ってくれるような(笑)東京で一番鳴りが良いオフィスを作ろうと思ったわけですよ。そこから浅田さんとの音の探求がはじまります。浅田さんは、日本のPA史においても重要な人で、ロック・コンサートの草分けの時代、氏は10代の頃から音響を学んでいました。ジュリアン・コープの著書「JAPROCKSAMPLER」の表紙にもなったFlower Travellin' Bandの『Make Up』という伝説的なライヴ盤があるのですが、そのジャケットはメンバーとスタッフ全員との集合写真です。そこに若き日の浅田さんが写ってるですよ。ヤバいでしょ!本当に草分け的存在。その方とHIRANYA ACCESSの藤田晃司君と共に、オフィスでFunktion-Oneを調整する毎日でした。そういえば、オフィス・ビルだから深夜から明け方まではSECOMのセキュリティ用の通用口しか出入りする方法が無くて、そのカードキーを持って、通用口にクリューが交代で立っていたのです。プッシャーやポン引きと間違えられて、よく警察に職務質問を受け、靴の中まで調べられましたね。勿論何も持っている筈がない。持っているのはセコムの鍵と社員証だけです(笑)。看板も出ていないので、「Mixroofficeはどこですか?」って聞かれたらカードキーでスタッフが通用口を空けてうちのオフィスに入る。1分以内に入らないと今度は防犯ベルが鳴って、セコムの警備員がやって来る!ちょっとしたロールプレイングゲームです!つまり、入場前に実写版のセコムRPGを面クリしないと四つ打ちに辿り着けない(笑)。

Mixrooffice Crew (2007)
Mixroofficeのコンセプトは、当時から日本の風営法への問題定義も兼ねていました。まずは僕らは前提として“クラブじゃない”。幼少時を孤児院で育ったDavid Mancusoは、育ての親としてのシスターが開いてくれたホームパーティーから着想を得た理想郷を、ブロードウェイに借りたロフトに根付かせた!僕らもそれと同じで、正真正銘の自らのオフィスで、プライベートパーティーを開く!オフィスだけに、つまりパーティーは労働ではなく、僕達の仕事だったワケです。仕事とは、生活の為の手段。踊らないと生計が立たない、生きて行けない奴らが踊りに来る、即ち仕事をしに来るわけです(笑)。なので、Mixroofficeに訪れるオーディエンス、いや、社員には、僕らが発行した会員証、もとい社員証の持参が必要です。要するに彼らは、セコムをクリアして、休日出勤と残業をしにフロアに訪れるのです。皆さん大変勤勉に踊ってらっしゃった!額に汗して、身を粉にして、寝る間も惜しんで、人一倍働いておりました!(笑)。勿論、僕らの仕事は何度もいいますが、ダンスです。勿論、一生懸命働いて(=ダンスして)いるので、休憩もとりますよ。休憩時間にはドリンクも飲みます。ただしフロアで金銭のやりとりはありません。ドリンク・チケットもありません。Mixroofficeでの通貨はボールペンです。パチンコ屋さんでは、シャーペンやコンパスを換金用の景品とします。僕らはフロアの外で買って頂いたボールペンとドリンクを対価とし、交換する。ボールペンですからもはや地域通貨ですらない(笑)。勿論僕らオフィスは、非営利目的なので、入場料は、ドーネーションとして頂いていましたね。こんな僕らのプライベートパーティー=オフィスワークに国家権力の介入の余地はあるのか?世紀の悪法である風営法3号は果たして適応されるのか?僕は世に問うていました。MOODMANやDJ NOBUくんのレジデントパーティー、更には12時間のウルトラロングミックスシリーズ=HALFDAYSを看板にして。そんな「Mixrooffice」の情報を世界中から聞きつけて、数えきれない人数のDJが僕らのオフィスでプレイしてくれるようになりました。Derrick Mayも、Juan Atkinsも、Eddie.Folkesも、WestBamも、Steve Bugも、Ben Klockも、Daniel Bellも、メタモルフォーゼのアフター・パーティーではLucianoもプレイしてくれた!ベルリンのDJは「君のオフィスはまるで、Panorama barだ!」デトロイトのDJは「ここはMusic Instituteの生き写しだ!」とか、NYのDJは「The Loftはこうしてはじまったんだぜ、宇川」って言ってくれるわけですよ。そんな各国の偏執狂たちに調教されて、英才教育を受けたうちのサウンドシステムは、2年間でエイジングも進み、かなり明瞭な音を鳴らすようになっていきました!

Mixroofficeは告知も限られてて、会員制でかなりクローズドなフロアだったと思います。常にライヴ・ストリーミングをやってるDOMMUNEと違って。

そうですね。Mixroofficeは所謂紙もののフライヤーを2回も配った事が無いですね。Mixroofficeのオープンは、えーと2006年の3月11日。おっと、奇遇にも3.11だ!!(汗)今、気がついた。因果ですね。当時、日本はSNSの黎明期でmixiがトレンドになり始めた時代。社員は、mixiのコミニティに登録してもらって、そこのみで告知するっていう拡散方法をとりました。SNSのみを使ってパーティー告知に活用したのはMixroofficeが日本で最初だと思う。急に来日してるDJやオーガナイザーから電話がかかってきて翌日遂行する。なので前日告知は当たり前で、最短で4時間前告知とかもありましたね。つまりDJにとっては、日本にいるセックスフレンドと同じ感覚だったと思います。都合のいい、そして鳴り心地のいい、ロングセットは勿論のこと、どんなド変態プレイにも応じてくれるトーキョーのパーティー・フリーク。それがMixroofficeだったのではないか、と。更にはMixroofficeの頃は、社員(つまり会員)用のメーリングリストがあって、たしか2000人はいましたね。彼らに僕が毎回、出勤勧告状を出すわけです!しかも毎回2000字くらいの長文!つまり数時間前に嫌がらせのようなダンス勧告が送られて来て、皆、フラフラになりながらフロアで仕事(ダンス)をする訳ですよ(笑)!つまりMixroofficeは外部にインフォメーションをもらさない究極のアンダーグラウンド・ダンス・オフィスだったわけです。しかし、賃貸契約が2年間だったので、別の現場を探さねばならなかった。2008年、1月、こうしてMixroofficeはフロア契約満期の為、1ヶ月間に渡るクロージング・パーティーを繰り広げて幕を閉じるわけです。石野卓球さんや、ボアダムスのEYEさんの12時間セットや、田中フミヤくんや、DJ NOBUくん、MOODMAN、Derrick Mayやそして、27時間続いたオフィスのクロージングパーティーでは、Mixrooffice縁の面々と、Sven Vathが緑色のゲロを履きながらプレイしてくれました!その段階で既に僕は、新たにフロアを展開するのであれば、ライヴ・ストリーミングスタジオに昇華させ、このクローズドな現場のクリエイティヴィティを完全合法な形で、今度は世界の側に拡散することを目論んでいました。言ってみればアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エル・トポ」で、瀕死の重傷を受けたエル・トポが地底に住むフリークス達に助けられ、今度は彼らを洞窟から救出する為に、人殺しをやめて頭を丸め、洞窟を掘削し、そして洞窟は日の光に恵まれる。ただ、映画ではフリークス達は下界に降り立ち皆殺しにされるのですが、ライヴストリーミングなら僕らを殺しようがないでしょう。僕らは未だ地底にいてそのクリエイティヴなエネルギーを世界の側に伝播できる(笑)。しかも合法です。24時には地底の地鳴りは収まるのですから(笑)。この発想が2年後に開局するライヴ・ストリーミングスタジオ兼チャンネルであるDOMMUNEへと展開されます。

しかしこの発想の源は、実は遡る事9年前からあったのです。僕は京都造形芸術大学大学で教鞭をとっていまして、その授業では、東京~京都間の距離を埋める為に、「ULTIMATE TV UNIVERSITY!!!!!」というライヴチャットを使った番組制作の授業を行っていた。勿論もとネタはHIP HOPのバイブルである「ULTIMATE BREAKS & BEATS」言わばアカデミックなTVブロックパーティーなのかもしれません(笑)授業は、東京の僕のアトリエに毎回豪華なゲストを迎え、京都の教室とライブストリーミングで結び、お互い番組を配信する。勿論、京都発の番組は生徒が制作し、そして出演もする。"観る"~"観られる"関係が瞬時に反転するような世界。プロデューサー、ディレクター、音声、美術、照明、助監督......放送局の役割分担形態は社会の縮図だと僕は考えているので、擬似的にその形態を授業に持ち込むことで、連帯意識を生み、コミュニケーション能力を高めるという授業でした。まだUSTREAM、ニコ生はおろか、YOUTUBEですらも、存在していたが世に浸透していない2002年から(まだ現在も継続中)僕は既に双方向番組制作の授業を行っていた。その自ら立ち上げたカリキュラムと、アンダーグラウンドだったMixroofficeの概念を合体させて、地下フロアから噴出するマグマを今度は世界の側に映すっていうコンセプトで開局したのがDOMMUNEなんです。“共同体”を意味するCOMMUNE(コミューン)のネクストステップを、実空間とサイバースペースを融合させて産み出そうという発想、即ちCの次のD 、それがDOMMUNEのネーミングの由来です。それと時を同じくして、ソーシャルメディアの時代がやってきて、ソーシャルストリーミングというテクノロジーが僕の発想と逆にリンクしたっていう感じです。当初は独自にストリーミングのプラットフォーム自体を構築しようと考えていたのですが、2009年5月にTwitterのAPIが採用され、それによってチャット領域での呟きが、ハッシュダグを通じ、Twitterにも同時にポストされ、USTREAM配信の日時や内容、更にはビューワーによるリアルなツイートが呟かれ、伝播されるようになった。要するにTwitteやFaceBookとのシナジーによってセレンディピティを手に入れるに至った。これによって独自のプラットフォームで展開させる以上に、既にトレンドになり始めているソーシャルストリームに便乗した方が、より感染率の高い赤潮のようなバイラル効果が得られるに違いない!と考え、USTREAMのコミュニティとして配信することによって、逆に僕の以前からの構想が具現化できると確信したんです。







はじめにちらっと話ましたが、DOMMUNEも番組後半はDJプレイだったり、音楽へのコミットが必ずあるじゃないですか?他の表現においてもそうした音楽との関わりがどこから来てるのかなぁと。

ダンス・ミュージックに限らず、ノイズ、アヴァンギャルドもフリージャズも……。DOMMUNEには、パワーエレクトロニクスの始祖である、WHITE HOUSEのWILLIAM BENETTも、ハーシュノイズの神であるMERZBOWも、八百万の神(笑)である灰野敬二さんも、ブラジルの音楽神Hermeto Pascoalもフォルクローレの生ける伝説Carlos Aguirreも、電子惑星の始祖である冨田勲先生も登場されています。

もちろん、全ての音楽を含めて。他のカルチャーやアートも平等に並列に愛情がありますよね。

それは僕自身、究極には音楽家に憧れてるからだと思う。僕は、86年頃からDJもやっていたのですが、直後VJも始めました。そういえば海外でも例えばD-Fuseが監修した「Audio-Visual Art and VJ Culture」などのVJの歴史をまとめた本がありますが、そこにはリアルなVJシーンは記されていないんですよ。VJカルチャーは日本が発祥なんですよ(笑)。勿論、ディズニーの『ファンタジア』の原案を考えたオスカー・フィッシンガーが生涯かけて貫いたアブストラクトな実験アニメは、ミュージッククリップの先駆だし、メタモルフォーシスや、ガスパーカラーっていう撮影システムの開発はアフターエフェクツのプログラムをフィルムメディアでやってるようなモノで、同時に彼がやっていた4台の映写機を使ったマルチプロジェクションのフィルムパフォーマンスは、1930年代で既にVJともいえなくもない。その後にやっとスタンバンダー・ビークとかナム・ジュン・パイクとかフルクサスの話しができるから。あと、サマー・オブ・ラブの時代に西海岸で実験してたゼラチンライトやスライドショー、OHPなんかを使ったサイケデリックパフォーマンスと、ライトショー。そういえば、当時はクラブ以前、ディスコ以前の、1968年に赤坂にあったゴーゴークラブ、MUGENでもアングラ、サイケ、ハレンチの時代にACIDに目覚めた米軍の方々が福生からやって来て(笑)、ライトショーをやっていました。70年の大阪万博でもマルチプロジェクションは多様されていたし、その後にPink Floydらがレーザーを導入した後に始めてLaurie Andersonのビデオパフォーマンスの話しが出来ると思うんです。おっと80年代のユーミンのライブも(笑)。そしてVJではなく、広義にオーディオ&ビジュアルの話しをするならサイレントからトーキーへと進化した時代に遡らなければならなくなりますよね。マジな話エジソンの功績とか。そういう意味で、なにを持ってVJかというと、現場でDJが鳴らしているイーヴンキックに込められた意思=音声信号を、視覚言語にトランスレートする行為だろう、と。つまり異なる言語に置き換えるという意味では翻訳家と通じる世界ではあります。直訳であってはダメだし、自ら視覚言語として意訳する行為。それをVJと呼ぶならば、例えば、85年に原田大三郎さんと庄野晴彦さんのやっていたラジカルTVでの、坂本龍一さんとの「TV War」という、筑波博のソニージャンボトロンに映し出したコラボレーションは、VJの始祖とも呼べますが、オーティオ・ビジュアルのシンクロ率をテクノロジーで高めて行ったという意味ではライヴ・ビデオパフォーマンスとして機能していたと思います。つまり、完全即興で音と映像のインブロビゼーションをロングセットで果たしたのは僕達が第一世代だと言いたい。僕は1988年にVJを始めました。その当時は巨大なRGB三眼の軽自動車ぐらいあるプロジェクターしか存在していなかった。日本のクラブではDEEPという小箱に常設していましたね。そして翌1989年に、当時シャープがXV-100Zという、持ち運べる、しかし今考えると灯籠のように暗い(笑)、一眼の液晶プロジェクターをリリースし、VJはフロアの暗闇の中で漸く音と戯れる術を持ちました。だから日本が発祥だといいたいのです(笑)。当時VJとして存在していたのは、僕と、電気グルーヴのミュージッククリップでも著名な、田中秀幸さんとか、NHKの「人体」でCGを担当していた松木靖明さん。あとハイパー・デリック・ビデオっていうロンドン出身の後のAnarchic Adjustmentのメンバーくらいです。翌年僕はEYEさんに誘われて、BOREDOMSのVJになって、その後、石野卓球さんと知り合って「WIRE」(セカンドルーム担当)でもVJをやることになり、今に至っています。話を戻すと、やっぱり自分は音楽がやりたいんでしょうね。いまもそれはある。でも、それに着手できないでいる理由は、音楽と戯れすぎて、あまりにも音楽を愛しすぎて、音楽を神々しく感すぎて、音楽の神秘を疎かに扱えなくなってしまった。だから25年以上音楽をやっていないんでしょうね。



Dommune DJ Booth (2010-2012)



だけど、コミットはしていきたいと。

そう。音楽以外の分野で僕が勝手に抱えている使命が重過ぎて(笑)、最終的には音楽をサポートする側に廻る為に今、存在している実感がある。あとやはりサポートするには批評眼を持つ事が大切で、自分がDJをやっていたら批評軸が絶対的になってしまい、自分のDJを差し置いて、他のDJを相対的に批評できなくなるでしょ。だからやらないことに決めた。VJでさえもDOMMUNEをやりはじめた頃から殆ど断っている。平日毎日配信しているので、新たな映像の更新ができないから。シーンは若い世代も真剣に取り組んでる現場なので、彼らに対して片手間では申し訳が立たないと思って。なのでしばらく休業してるんですよ。この態度表明は表現にとって大変重要だと思います。

では、そのDOMMUNEと、メディアの変遷との関係は?

2010年、DOMMUNEを開局した当時はTwitter革命を経て、ソーシャル・メディアが急速に日本の社会に浸透した時期でした。一般に動画メディアは、未だテレビがメインですよね?そんな世にソーシャル・ストリーミングというテクノロジーが全人類に解放された。メディアの変遷という質問に答えるならば、それ以前にYOUTUBEという動画共有のサービスが生まれたことによって、映像におけるレアという価値観が崩壊しましたよね。それまでのレアという価値観は、貴重な過去の映像や音源を個人所有することで、そのこと自体が自己表現と密接な関係にあることを意味しました。しかし、所有から共有の時代に完全にパラダイムシフトして「所有している」ことの価値がそれほど重要な意味を持たなくなってしまった。例えば時空を超越して、フェラ・クティが極太のガンジャを吸引している映像と、ネコがマタタビでブッ飛んでいる映像が並列に並ぶこととなった(笑)。"トリップ"というタグのもとにおいて(笑)。つまりYOUTUBEのアーカイヴを観るという行為は、非直線上にランダムに点在する映像のノンリニアな編集行為を、無意識にやっていることになっている。"過去の時間"を真空保存した動画を鑑賞する行為=編集に成りうる。要するに知らず知らずのうちにカットインカットアウトで無意識的にDJプレイを行っているようなものです(これは断じて先述した意味におけるVJではない)。それと比較して、僕らDOMMUNEが行っていることはライヴストリーミングなので、扱っている情報は"現在の時間"です。これは、日常時間軸にそって一直線に進行するリニアな現実の映像を切り取って、世界に映し出す行為です。DOMMNEのタイムラインに多くの視聴者が集まる理由は、先述した価値観が崩壊した貴重な過去の映像という意味における"レア"ではなく、今、味わわないと明日完全に腐ってしまう映像、つまり生の、"今、疑いなく生きている映像"を映し出しているからだと思います。当たり前ですが、これこそがライブストリーミングのアウラなのでしょう。その時間を不特定多数の人々と共有している。僕はいつもインタビューで言っていますが、DOMMUNEには三つの現場があります。第一の現場は生身の身体がDANCEを通じてエネルギーを放つフロアでもあるこのスタジオ。第二の現場はビューワーが視聴しているそれぞれの環境、そして第三の現場は、第一の現場と第二の現場に居るそれぞれが活字で時間を共有するタイムラインです。これら三つの現場にヒエラルキーはなく、どの現場も「いまここ」でしか体験できない、リアルな現実が立ち現れている。スタジオに訪れて生のパフォーマンスに触れるのも、流れていくタイムラインを共有することも、それを自宅のトイレで便秘と格闘しながらi-Phoneで覗き観るのも、どの環境にもかけがえのないいまとここが存在しますよね。要するにDOMMUNEというフレームを通して様々な"現在"を可視化しているわけです。つまり単純に「エル・トポ」ではなく、もっと複雑な様相で、そして可能性を秘めていたと、やりはじめてから気づいたのです(笑)。

意図して無かったものだったと。

僕らは多分世界で最初に開局したライヴストリーミングスタジオを銘打ったフロアだった為、全てにおいて前例がなく、完全に手探りでした。その後Boiler Roomも生まれましたよね。互いに時差があってなかなか見れませんが、Twitterで語らったことはあります。彼らとは、なにかワールドワイドにコラボレートしたいですね。ともあれ、DOMMUNEはライヴストリーミング・フロアという意味に於いて、LOFTやWAREHOUSEやParadise Garageのような歴史に残る現場であると自負できます。あとは、メディアとして、これらプログラムを配信することによって、音楽産業におけるパッケージメディアの衰退が憂うべき勢いで進んでしまっていることに関してのサポート媒体としても機能しています。僕は平日毎日、同じ時代を共に生きる、彼ら音楽家たちのハイフィデリティなポートレイトを撮影し、配信し、そして収録している。この表現自体が同時に被写体となるアーティストのPRに繋がっているわけです。彼らのプロモーションビデオを毎日5時間制作していると捉えることも出来ます。事実、複数の大型レコード店には既にDOMMUNEの棚があり、登場したアーティストのパッケージは翌日その棚に並ぶので、日々増殖していっているし、AMAZONでは配信中にチャートが変わるくらい数字に表されています。日本ではJASRACという著作権協会があるので、PLAYリストを作成してそこに申請することによって、ようやく著作権はクリアになるのですが、著作隣接権は、各レコード会社が保持しています。即ち僕らの配信行為は日本ではグレーなのですが、搾取など全くしていない。ひた向きに音楽を愛し、宣伝活動を惜しまない、こういうメディアとしての実績があるからこそ、信頼してもらっているし、実際結果を出しているので、共存していけているのだと肝に命じています。Berghainのブッキングなどをやられているドイツ在住の友人、浅沼優子さんを通じて、ドイツではGEMAとの関係が、かなり深刻だと伝え聞いています。実際今年からYOUTUBEの配信にシフトしたDOMMUNEは現在ドイツで観ることが出来ない。僕は現在の著作権の枠組み自体が20世紀の産物だと考えているので、著作権の新しいパラダイムに向けて一石を投じることが出来たらな、とも考えています。あと、DOMMUNEのアーカイヴはネット上に残していません。しかし全てハードディスクに記録してあって、現在この時代の生の空気をデジタルファイルに封じ込めた文化遺産でもあるので、世界の皆でこのアーカイヴは共有されるべきだ考えています。ネット上では上記したようにいろいろと大変なので、最終的にはギャラリーを作り、出演者の許諾を得て、そこで無料で解放したい。全世界に向けて撮影し、配信し、記録したものをホワイトキューブに還元する。ダンスという身体的表現を前提としたフロアから、個人の内的体験としてのラップトップに向けて放たれた情報を、最後にはまた身体行為が伴う公の場に還元する。この鑑賞方法を提唱する理由は、僕がアートのアウラを信じているからです。つまりDOMMUNEは僕の"現在美術"行為なのです。日刊のファイナルメディアと銘打っているので、"現代美術"ではなく、"現在美術"。それらアーカイヴは、2年半で既に1500番組、3000時間以上、保管しています。DJだけで700人以上。ギネスに掲載されてもおかしくない程のDJの手元を毎日毎日観続けているので、最近ではプレイと同じくらいブースに立ったDJの爪の伸び具合を気にしています(笑)

それにしても、これだけ配信しているとあらゆるジャンルの音楽的変遷が、微細な領域までマクロにフォーカスが合ってきます。いま世界に鳴っている音の進化ばかりでなく、ミッシングリンクまで感知してしまう。それ全てを飲み込んだ天体の運行まで捉えてしまう。うん、天体観測ですね。宇宙の写真を見せられても、それがいつどこで撮られたものなのかって普通はわからないけど、大望遠鏡でジャンルを問わず毎日音楽観測してるものだからわかってしまう。

定点観測だからこそわかる微細な変化と。

そうそう。例えばテクノひとつとってもいろいろ様々な文脈があるでしょう。例えば、Jeff Millsのミニマル遺伝子を経てどんな微生物が生まれたか?クリック/ディープミニマル以降、Richie Hawtin、Ricardo Villalobosから派生した細胞は、アメーバ状の細胞質の集合体となって、ノイズ/インダストリアルの栄養を摂取して何に分裂したか?Marcel DettmannやLen Fakiから何が覚醒したか?Svrecaからどんな接合子が変形体を生んだか?NATURAL/ELECTRONIC.SYSTEMからどんな胞子が発芽したか?そしてDJ NOBUはどうしてあんなにも透明な輝きを秘めているのか?更には、石野卓球さんは純真無垢に気が狂っているのか?(笑)それぞれの微細な変化がわかってくる。あれ?天体望遠鏡じゃなく、テクノだけに電子顕微鏡で見る粘菌の世界の話しをしてましたね(笑)本当に恐ろしいですよ。こういうことを日本ではLabyrinth のRussとmnml ssgsのChrisを通じて学んでます(笑)。そういえばこの間、AXISのお誘いで、日本の科学未来館とU/M/A/AとDOMMUNEのコラボレーションで、AXIS20周年記念として、Jeff Millsと毛利宇宙飛行士の対談と、Jeffの『メトロポリス』(Fritz Lang監督/1926年制作)のシネミックス(無声映画に新たなサウンドトラックを制作し、シネマとミュージックをミックスする)をDOMMUNEが世界で初めて配信しました。これはストリーミング史に残る事件で、時空を超えたジェフのサイエンス・フィクション新境地になりました。



Freedommune 0 <zero> A new zero (2012)



FREEDOMMUNE 0<ZERO>を終えてみてなんですが、残念ながら会場での寄付が思う様に行かなかっ た反面。多くの出演アーティストやそのコンセプトを理解する市井の人たちが その後、 自発的にウェブでの寄付をSNSで呼びかけててかなり感動的だったんですが。

キャパシティー50人の極小スタジオから平日毎日配信するDOMMUNEを、1万6千人以上のリアルピープルを収容するFREEDOMMUNE 0<ZERO>として拡張した理由は、3.11に端を発しています。3.11は、僕達の生き方を、そして日本社会のあり方を根底から問い直す共通体験となりました。終了後のメッセージにも記しましたが、僕がこのフェス開催に於いて、着想を得ていたのは、ヒューマン・ビーインの哲学と、シチュアシオニストの思想、それらをネットを通じて、Google+とYOUTUBEで新鋭化させることでした。ビーインは、1967年に西海岸で始まった、社会における人間性回復を求める人々の集会です。これは、ヒッピー・ムーブメントがもたらした平和運動であり、またカウンターカルチャーの重要なコンセプトであります。中央集権ではなく分散型の社会を提言し、個人のエクストリームな意識拡張を説きすすめ、新たなパラダイムを提示しました。 一方、1968年パリ5月革命の思想的準備を整えたと伝えられるシチュアシオニストは、文化も政治も芸術も、そして日常の全てが、スペクタクルの社会を構築する為のメディア上の表象としてしか機能しなくなった状況を露にし、そこにどのようにして亀裂を生みだし裂け目を作り出すか?そのことを世に問うていました。つまり、革命には予定調和な物語ではなく、DIYな実験精神と、エクストリームな想像力、そしてハードコアな熱狂が必要なのではないか?そう考えていました。そのアクションを1万6千人で共有した上での、募金額なので、この数字は果たして多いのか?少ないのか?そう捉えたいわけではなく、これが震災後1年余経過した現在、 非被災地側の復興支援への想いを数値化した、リアルな数字なのだと考えています。 僕らの方ももっと募金したくなるような方法の模索や、そして観客の心に直接訴えるような物語の提案があってもよかったのかも…とも思いましたが、音楽の抽象性から滲み出て来るアウラを僕は今も信じています。そのことを理解して下さった上で呼び掛けた頂けたのは感涙でした。実際DOMMUNEでは今もWEB募金を募っています。

今後もFREEDOMMUNE 0<ZERO>は震災のチャリティーとして毎年続けていきますか?

FREEDOMMUNE 0<ZERO>は、"東日本大震災復興支援イベント"の標題のとおり、「音楽のエネルギー」を”直接の支援”に変換することを目的として、震災で家族を失った被災孤児や遺児、そして震災と原発事故によって行き場をなくした被災動物の未来をサポートすべく企画されたものです。そして復興にはほど遠い被災地の現状。なので、彼ら被災地の子供達の発育と共に、支援活動として僕らも成長できたならば、少し未来が開ける筈だと信じています。新たな募金の方法も考えています。内容はまだ纏まっていませんが。

Tower Recordsとの新メディアは今後どのようなものになるのでしょうか?

タワレコ×ドミューンという大型レコードストアとライヴストリーミング・スタジオのコラボレーションとして「TOWER RECORDOMMUNE SHIBUYA」という全フロア配信サテライトスタジオを現在立ち上げて、実験配信中です。渋谷は世界のミュージックビジネスの象徴であり、タワーレコードはその聖地に立つ“バベルの塔”のような存在ではないかと…。そのタワレコのリニューアルは、今後のパッケージビジネスの行方を占う試金石になる。この現場は、ガマの油売りや、デパ地下の試食販売や、電気屋さんの包丁磨ぎ機の実演販売などと同じく、物売りの原点である“口上と実演”が現代版として進化したものになると思っています。つまりCDを解説し、その場で演奏し、手売りする。昔の演歌歌手のキャバレーやバーでの地方巡業にも似た人と人との交流にもスポットを当てています。そんな全フロア・インストア・イベントをライブストリーミングでも配信し、ジャパネットたかたのエクストリーム・ヴァージョン(笑)のようにネットでも通販する。これはオーディエンスとアーティスト間のエネルギー循環の全く新しいフィルターとして、きっとCDやレコードの持つ意味自体が強まると信じています。

今後行ってみたい表現活動などはありますか?

死ぬまでに音楽家として成就できるようがんばりたいです(笑)。遠回りして、遠回りして…




Published / Sunday, 20 January 2013

Photo credits /
Header - Yukari Takanose
Crowd - Red Bull Music Academy
Ukawa Live - Muraken
Mixrooffice Crew - Akiko Isobe


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