昨年のUnsound FestivalでRAはLive Exchangeを開催したのだが、その一環としてFoxx、そして現在彼と共同作業を行っているBengeを迎えてディスカッションを行った。この2人は最近アルバム『Interplay』をリリースしており、この時も基本的にはこのアルバムについてのトークが続いたのだが、雄弁なFoxxがかなり熱心に答えてくれたため、今回改めて編集/要約し、この場を借りて発表することにした。ディスカッションは聴衆を迎えて行われ、RAのTodd L. Burnsが進行役を務める中、FoxxとBengeが2人のパートナーシップ、アルバムの制作過程、そしてキックドラムのパワーになどについて語ってくれた。
John Foxx: こうなったのは色んな意味でアクシデントだった。Bengeは『Twenty Systems』というアルバムをリリースしたんだが、このアルバムではシンセサイザーがキャラクターを失わずに鳴り響いている。つまり、このアルバムでのシンセサイザーは他の楽器の代役という扱いではないということだ。オーケストラや鐘の音を真似ようとするのは非常に馬鹿げた行為だと思う。正しいシンセサイザーの使い方ではない。Bengeはあのアルバムで、他のどの楽器でも生み出せない音を鳴らしていて、要するにシンセサイザー自体の音を鳴らしていた。アルバムを聴いた私は彼と一緒に仕事をしたい、そして何かアブストラクトな音楽を作りたいと思ったのだが、その方向性は中々上手くいかなかった。
どの時点で「ポップ」な作品になると思ったのでしょう?
Benge: 多分1曲目の制作途中だね。
John Foxx: 自動的にリズムループが鳴るようにMoogをセッティングした際に、いきなり曲を生み出すことができた。勝手にメロディー、リズム、ハーモニーが重なり合っていく感じだったから、私がそれに合わせて直感的に歌いだしたという訳だ。機材に導かれるという手法は、素晴らしいと思う。機材が主役で、私たちは彼らが生み出す音を聴くだけでいい。そこにBengeが新たに他の機材をセットアップして、素晴らしい形で合わせてくれた。
Johnに伺いますが、アルバムの歌詞のテーマは過去の作品と何か共通点がありますか?
John Foxx: ああ。私はいつも男、女、都市といった基本的な物事について歌詞を書く。自分が基本的に都市部に住んでいるというのがその理由だ。そしてこのテーマの持つ意味合いは今非常に大きくなってきていると思う。というのは、今は殆どの人が都市部に住んでいるからだ。またこうした状況下で起きている事象は非常に興味深い。私たちは都市部に住み、そして生き抜くために自分たちを適宜変化させながら生活しているが、このプロセスは非常に詩的な要素を含んでいると思っている。別に偉そうに言うわけではないが、人々が他人や自分が住む都市に自分を順応させていく姿は非常に感動的だ。人々は上手く生きていくために、もはや自分を一度分解して都市との協力体制を再度築かなければならない。この行程から生まれる小さな相互作用、そして大小問わずの結果は本当に魅力的だ。1日中カフェにただ座って過ごすことだって可能だし、実際そうすることもある位だ。これは流れが止まらない美しい海の一部になるようなものだ。そして私の歌詞の多くは、このプロセスを説明しようとしたものだ。
John Foxx: 「不完全である」ということがアルバムの哲学だった。私は「完ぺきな音楽」が嫌いだからね。私は「やり過ぎている」ものが大嫌いだ。完成された絵画、何も絵筆の痕跡が残っていないような絵画は見るに堪えられない。痛々しいし、全く楽しめない。しかし例えばドガの絵を見ると、そこには人や物の動きが残されている。これは別の話になるが、絵画にはこの部分が凄く重要だと思っている。
John Foxx: エレクトロニックミュージックはシーケンスによって固定されていて、人々はそのシーケンス内に全てをきっちりと決め込んで組まなければいけないと思っている。しかし、そういったルールに背を向ければ、何か流動的で面白いものを生み出せるし、他の方法を使った相互作用を生み出すことが出来る。機械的なもの、またはフレームワークのようなそぎ落とされたものを生み出すのは素晴らしい感覚で、今回私たちが行ったのは、そこに有機的な動きを埋め込むという作業だ。技術的な部分が許す限り、素晴らしいものを生み出せるだろう。
レコーディング中に聴いていた音楽は何かありますか?
Benge: Arthur Russellだね。80年代初頭にニューヨークで活躍していたアーティストで、ディスコトラックを作っていた人物だが、奇妙なチェロの作品もリリースしている。このようなチェロの作品を聴くと、本人が行き詰まりを感じて、しばし忘れていた方向へ足を向けたかのような印象を受けるよ。
John Foxx: 私はどのアーティストの作品を聴いてもそういう印象を受ける時がある。他の方向性に行けたのではないだろうかと感じるような作品をいつも耳にするし、そういう作品に私は凄く惹きつけられる。Kraftwerkの”Neon Lights”がそうだ。この曲はまるで現代版フランク・シナトラのような方向へ向かっているかのように感じられる。バラードのスタイルを踏襲していて、非常に感情的だ。そして盛り上がっていくかのように聴こえるが、実際は盛り上がらないで終わる。Kraftwerkは自分たちのスタイルを使い切ってしまったんだと思うが、別に悪意を込めて言っているわけではない。彼らは天才だと思うし、彼らの音楽は素晴らしい。ただし、人間のアイディアには限りがあるということだ。この曲はそういう意味で変化のチャンスを逃してしまった作品だと言える。これは画家や映画監督にも言えることだ。私は他人の作品でこの部分を見つけ出そうとしているし、また自分の作品でも、自分がより知的な思考と広い許容範囲を持つことができていたら、どのような方向性に向かっていたのだろうかと振り返ろうとしている。
「もし偶然『完全』に到達してしまったら、
自殺するだろうね。」
それは面白いですね。自身のキャリアを振り返ってみてどう感じていらっしゃるのでしょう?
John Foxx: 私の場合はどのタイミングもそのようなタイミングだったと言える。ギターを使っていた時代、1977年にはアンビエントを作ることができただろうし、あるいはもっと単純に、純粋なポップミュージシャンとして進むこともできただろう。朝の5時に目を覚まして「 ああ、あの子と結婚できていたらな!」と思うような瞬間は誰にでもある。そして音楽はこのような感覚にかなり近い。自分で選択を重ねていくが、その行程が経済的な状況やアクシデント、そして偶然の出会いなどによって決定されていく時がある。だから音楽は面白いんだ。
John Foxx: 答えはノーだ。というのはそう思ってしまった時点で終わりだから。私はアイディアを使い切ってしまうことに関しては別に何とも思っていない。限界のある中で仕事をするのは好きだ。何故なら限界が無い中では作業は何もできないからだ。最悪なのは選択肢が多すぎる時だ。また制限を設け過ぎて、制限と制限の間にあるべき自由なスペースが消えてしまうことで、自分の作品を抑制してしまうこともあるが、これも危険な傾向だ。修正や変更が可能な制限を設ける必要がある。
John Foxx: その通りだ。私は社交的だし、他人と一緒に作業するのが好きだ。2つの要素があれば、3つ目のアイディアが生まれてくる。2人が一緒になるということは3つ目のアイディアを得るということだ。そしてこの3つ目のアイディアというものは1人では決して生み出せないものなので、非常に面白い、変わったものとなる。これがコラボレーションのもたらす結果だ。
John Foxx: 2点言わせてもらいたい。Bengeがドラムマシンに重ねる形で素晴らしい生ドラムやシンセドラムを演奏してくれているから、実際は2種類のドラムが重なっているという点がひとつ。そしてドラムマシンは… 聴きに来ているあなたたちをうんざりさせるつもりは毛頭ないが、素晴らしい機材だという点がもうひとつだ。生ドラムでは演奏できない演奏が可能だというのがその理由だ。生ドラムより速くしたり、遅くしたり、または正確に演奏させたりすることが可能で、エフェクトも素早くかけることができる。そして私たちは人間が演奏している生ドラムに反応するのとほぼ同じスピードでドラムマシンの音にも反応することができる。例えばキックは心臓の鼓動を再現している。これは子宮にいる時から私たちが知っている音だ。私たちは子宮にいる時に、母親の鼓動と自分の鼓動をシンクロさせる。母親が興奮すれば、私たちも興奮する。母親の心拍数が上下すれば、私たちの心臓も同じように上下する。