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Sven Väth: The beat goes on...
Sven Väth: The beat goes on...

ドイツで最も有名なDJの1人が語る。

「最も有名なテクノDJは誰か?」とドイツ国内で適当に尋ねてみれば、すぐにSven Väthという名前を聞くことになるだろう。2011年にDJキャリア30周年を迎えたフランクフルト出身のVäthは、その長いキャリアの中で数多くの伝説や逸話を生み出してきた。40時間のロングセット、スピリチュアルなアジア旅行に対する噂、そしてノンストップにパーティーを行うわけではないそのライフスタイルなど、Sven Väthにまつわる話は常に本人自身が関わっている。

噂話はここまでにしよう。Sven Väthがトランスとテクノを大きく発展させることにおいて非常に重要な役割を果たしてきたことは疑いようのない事実だ。1982年にたった18歳でフランクフルトの伝説のクラブDorian GrayのレジデントとなったSvenは、その後ユーロビート系プロジェクトOFFで短期間の成功を収めた後、1988年に最初のクラブをオープンさせている。そのクラブOmenは10年後にクローズするまでヨーロッパを代表するテクノクラブとして名を馳せ、当時の多くのプロデューサーたちにインスピレーションを与え続けた。そしてOmenの経営とは別に、90年代ドイツを代表するレーベルEye QとHarthouseも経営していた。

しかし、2000年にVäthはビジネスマンとしての自分に改革を施す。シンプルなブッキングエージェントからスタートしたブランド「Cocoon」はその後成長を続け、今やエレクトロニックミュージックシーンにおいてレーベル、そしてビッグイベンターとして有数の存在となっている。そして2004年に数百万ユーロ規模のベンチャービジネスとしてスタートさせたCocoon Clubは、物議も醸し出しつつもドイツのクラブカルチャーのレベルを底上げした。Sven Väthは妥協することなく活動してきた。そして30年経った今も、その勢いは全く衰えない。



ようこそベルリンへ。この街のシーンと初めて関わった時を憶えています?

1989年のベルリンの壁崩壊の後すぐだったと思う。俺や他のフランクフルトのアーティスト、Jam & Spoon、Pascal F.E.O.S.、DagやMoses Pなんかと一緒にバスツアーを組んで行ったよ。自主的にコンサートを開いたんだ。そしてその頃にUfoクラブでLove Paradeの発案者Dr. Motteと知り合った。俺がベルリンのシーンと最初に関わりだしたと言えるのはこの辺りからだろうな。1990年代はTresorを中心に活動していたね。Dimitri Hegemann(Tresorの創設者)とは仲が良いから。あそこでは本当に素晴らしい夜を何回か過ごした思い出があるよ。ただ、E-WerkやPlanet、Maria am Ostbahnhofや昔のOstgutでも定期的にプレイした。Ostgutでは何回か自分たちでオーガナイズしたパーティーもやった。

あなたをベルリンで見かけることは最近少なくなりましたよね。その理由は?

個人的な理由と、政治的な理由で2000年にLove Paradeから抜けた。あのイベントが俺のベルリンでの活動に多かれ少なかれ関わっていたから、Love Paradeでのプレイをストップしたことでローカルなクラブシーンとの接点も失ってしまった。

音楽的な部分でも接点を失ってしまったんですか?

いや、それはない。というのも、ここ10年間に渡ってベルリンを有名にしてきたサウンドは俺が昔から知っている連中、例えばRicardo VillalobosやHeiko Laux、それにミュンヘンから移った奴らのような、誰よりも早くにあそこに移った連中が大きな影響を与えたものだからね。だからベルリンで起こったムーブメントは別に「新しかった」わけではなくて、むしろ優れたベテランアーティストたちに影響を受けて生み出されたものだ。最近になってようやく若い世代のアーティストたちが台頭して独自のものになったが、昔からの俺の友人は今でもベルリンに住み、そして働いているよ。

友人たちがベルリンに住む一方、あなたはフランクフルトにずっと拠点を置いています。それは何故ですか?

昔は「フランクフルトじゃ成功できなかったから奴らはベルリンへ行ったんだ」なんてベルリンへ行った連中に対してジョークを言っていたんだ(笑)。まぁそれはさておき、フランクフルトは俺のホームタウンなんだよ。自分の音楽的なビジョンを実現することができる街なんだ。知っての通り小さな街だが、才能のあるアーティストが沢山いる。フランクフルトとベルリンを比べるのはナンセンスだ。夜遊びの仕方が違うからね。フランクフルトは週末に向けて全てが上手くオーガナイズされている。ベルリンはなんていうか、毎日が土曜日みたいな感じだ。少なくとも音楽という意味ではね。

あなたもそうやって切り替えるのですか?週末はパーティーで、月曜日はオフィスに戻るみたいな?

ずっとそうしてきたよ。

本当に?

(笑)。月曜日にオフィスっていうのはウソかもしれない。ただ、平日にビジネス面を片付けてしまおうと心がけてきたのは本当だ。最近はもっと複雑なリズムになっている。夏の間は家族と一緒にイビザにいて、10月から12月はフランクフルトに戻って来年のプランニングをする。そして春は大抵ヨーロッパ以外の国でツアーだ。これに家族、友達、レコードの試聴なんかを足すんだから、スケジュール管理が一番重要になるのはわかってもらえるだろう。

イビザの話が出ましたが、今年もまた成功を収めたシーズンでしたね。この勢いが維持できている理由は何でしょう?

イビザのエネルギー、そしてその濃さは凄く独特なものだ。メルティングポットであると同時にクラブカルチャーの様々な側面におけるスタートポイントだと個人的には思っている。あそこまで多くのクラブやエンターテイメント、カルチャー、そして美しい田舎風景があんなに小さな土地に集まっているのはイビザ以外にはないね。

イビザは何も変わっていませんか?

いや、最近はLady GagaやKylie Minogueの名前が書いてある奇妙なフライヤーを目にすることもある。イビザはサントロペやモナコみたいなセレブな世界のバズワードになっていて、小洒落た新しい客層が来るようになっている。イビザは70年代のヒッピーカルチャーを受け継いだ自由な精神性を持っている島として知られていたわけだから、そういう意味では少し残念だ。イビザは長年に渡って「楽しさ」だけで人々を魅了してきたと言ってもいい。クラブに行けば50歳を越えた人に出会う可能性もあった。彼らもただ楽しみたいだけだった。昔は品があったが、最近はただ憂さを晴らしに来るだけの人が多くなったよ。

かなり落胆しているように聞こえますけど…?

誤解しないで欲しい。そこに注意しなければいけないってだけの話だ。でも長期的な視点で見て、今の状態がイビザをダメにするとは思っていない。ファンや音楽好きな人たちが多過ぎるだけって話で、「俺たち」のコンテンツに影響を与えるわけじゃない。DC-10のラインアップやAmnesiaのスケジュールを見れば、新しくて刺激的なアーティストたちの名前が確認できるはずだ。Jamie JonesやSeth Troxler、Visionquestの連中は自分たちのお客をイビザに連れてきてパーティーしているし、そういう面では若い世代とも繋がることが出来ていると思う。

あなたが初めてイビザに行ったのはいつのことです?

俺が初めて行ったのは1980年で、友人と一緒にヒッチハイクをしてバルセロナに向かっている途中に寄ったんだ。イビザに辿り着いた時は無一文だったけど、何とか3カ月程居続けることができた。ビーチベッドを盗んで森の中でキャンプして、昼間はクラブに入るためにフライヤー配りをしていたよ。

DJになることを決意したのはその時だったのですか?

あそこでのクラブ経験は俺にとっては未知の世界だった。DJ Alfredoが聴いたことのないミックスをAmnesiaで披露していた。アフリカのパーカッションものにイタロディスコやJohn Lennonの『Imagine』を繋いだりしていてね。俺たちは朝の5時位に本気で感動して涙を流していたよ。その時に「俺はこれがやりたい!ここが俺の居場所だ!」って思ったわけだ。

それからは毎夏イビザに戻っては、かかっているレコードのタイトルをメモしながら音楽を聴きまくった。当たり前の話だが、あそこでかかっていたレコードを当時のフランクフルトで手に入れるのは大変だったし、実際手に入れたとしてもかけられるかどうかはまた別の問題だった。Dorian GrayでDJを始めた当時は、自分が担当していた1時間はいつも「戦い」だったよ。クラブのボスが俺の後ろに立って、かけている曲にダメ出しされるんじゃないかといつもヒヤヒヤしていた(笑)。

今となってはそのような心配は必要ありませんね。さて、Cocoonについて話をさせてください。最近のCocoonは退廃的かつ商業主義的過ぎると多くの人が考えているようです。これについてはどう考えていますか?

(長い間考えてから)Cocoonについて意見が分かれることは理解できる。特にクラブに関してはね。Cocoonを立ち上げた時、アイディアを理解してくれない人が結構いるだろうということは分かっていた。でもそういう人たちの大半は俺たちがCocoonで何をやり遂げようとしているのかをきちんと見てくれていない。俺たちはやること全てに多くの情熱を注いでいる。俺たちが抱えるアーティストは常にテイラーメイドのスーツを着ていなきゃいけないというルールがあるわけでもない。他のレーベル同様、彼らは自分たちの好きに活動できる。俺たちのイベント、クラブ、そして哲学は、アーティストにとって魅力的でクリエイティブな環境を生み出すためのものだ。勿論そのためには投資をして、リスクを負って、既成概念にとらわれないようにしなければいけない時もある。







エレクトロニックミュージックシーンでリスクを負っている人の数が少ないと思いますか?

クラブカルチャー、あえて「カルチャー」を強調するけれど、これはビジョンの上に成り立っている。そしてそのビジョンを現実のものにするにはリスクと勇気が必要だ。だから俺が21世紀のテクノクラブに対するビジョンを持っていて、それがCocoonのようなものとして表現されるのであれば、それが俺たちのクラブカルチャーを前面に立って語る。もっと沢山の人が同じように行動してくれたらなと思うね。

でもあなたがCocoonを最初に始めた時はそこまで上手くいかなかったですよね?

ああ。最初にCocoonの名前を使ったパーティーをやったのは1996年だった。コンセプトはかなり斬新だったね。装飾はイングランドのハンドメイドで、それをドイツへ送ってもらった。そして無名のDJを日本から呼びつつ、Underworldのような大物も呼んだ。当時の俺は理想主義者だったから、そのパーティーにスポンサーをつけることは許可しなかった。言い換えれば、自分の貯金を注ぎ込んだってことで、結果的にこのパーティーを行うことでその殆どを失ったということだ。

その失敗から学んだことは何でしょう?

俺が学んだのは、巨大なイベントをオーガナイズするには何が必要かってことと、タイミングが早すぎたってことだ。1997年、俺はEye QとHarthouseから離れた。彼らが倒産する前年のことだったね。そして1998年にはそれまで自治体や地主とずっと揉めていたこともあってOmenを完全に終わらせた。この時俺は初めて自分1人でやっていくことになった。そしてCocoonについてもう一度しっかりと見直したかったから、このタイミングで1回休んで、2000年に再スタートさせた。ただ、この時はブッキングエージェントからスタートさせて、そこから色々話が広がっていった。

10年間でCocoonはかなりの成功を収めました。あなたは自分のことを今でもアーティストだと捉えていますか?それともむしろビジネスマンとして捉えていますか?

多くの人がこの部分については話をしたがらないが、どんなレーベルでもどんなブッキングエージェントでも、どんなクラブでも月末には支払いが待っている。そして自分が大きな存在であればあるほど、この部分が重要になってくる。最近のCocoonは多くのスタッフを抱えて多くの仕事をこなしていて、業務は以前よりも複雑になっている。もうひたすらレコードを売っていればいいという時代じゃないからね。

趣味じゃなくて仕事としてこの世界と関わっていきたいのであれば、「楽しさ」と「プロ意識」を両方持つ必要がある。それが俺の生き方なんだが、そこを大抵の人が納得しない。彼らにとっては、会社を上手く経営できていることは、裏切りを意味するのさ。でも俺たちがやっている仕事は裏切りでも何でもない!


Cocoonのレーベル、ブッキングエージェント、そしてイベントオーガナイザーとしてのコンセプトは他のレーベルに影響を与えていると思いますか?

勿論そうだろうね。Lucianoがいい例だ。彼は長年イビザのAmnesiaのテラスでプレイしていたけれど、最近Cadenzaはブッキングエージェント兼イベントオーガナイザーとして独立して、Pachaで自分たちのパーティーをやっている。俺は非難する気は全くないし、むしろその逆だ。自分たちのコミュニティに何かを返すという行為を尊敬しているよ。

あなたたちはソーシャルネットワークや広告キャンペーンを上手に利用していることでも有名ですよね。

ああ。色々な手段を利用していくことは非常に重要だと思っているし、だから今夏にウェブサイトをリニューアルした。衝動的に動いていく今の社会は、マウスひとつで変化するネットワーク、スピード、そしてあらゆる情報の上に成り立っている。個人的には面倒だなと思う時もあるね。

どうしてです?

簡単に言えば、毎日Facebookに自分のディナーの写真をアップする必要なんてないだろう。ウチの社員の中にはしている人もいるけどね(笑)。

あなたはビジネスとプライベートを分けているということですね。

その通り。



「俺たちの音楽ほどグローバルに繋がって
いるものがあるかい?」




LawrenceのMix CD『Timeless』に関しては、RAのフォーラム上でやや辛辣なフィードバックが見受けられましたが、その否定的な意見は基本的にCocoonからリリースされたということから来るものでした。CocoonとDialは良い組み合わせとは言えないと考えている人もいるようです。

事実を知らないで外野から色々言う人は必ずいる。俺が言いたいのは何で彼を取り上げちゃいけないんだ?ってことだ。俺は長年に渡ってPeter(Lawrence)のファンだった。しかも彼はSten名義で数年前のCocoonのコンピレーションに参加しているし、俺はDialのレコードを自分のセットで使う。とにかく理解に苦しむね…。

では、こういった意見は何が原因だと思いますか?

「分類」したいってことなんだと思う。みんなは「おい、これはKompaktだ。あっちにはDialがあるぞ。Cocoonより内省的でメランコリックだよな」みたいなことを言う。全てを小さな箱に振り分けていくわけだが、俺に言わせればくだらない行為だ。俺たちの音楽ほどグローバルに繋がっているものがあるかい?毎週末、俺たちは韓国やチリ、フランクフルトやベルリンでプレイして人と音楽を繋げることで、その強さを証明していると思う。

人と人を繋げることはあなたの狙いのひとつなのですか?

勿論!実際、俺はドイツのGoethe-Institutでエレクトロニックミュージック担当の文化大使を務めている。今年の初めには東京のパネルディスカッションで経済評論家やミュージシャン、ライターなんかのお偉い方300人を前にスピーチをしたよ。かなり興奮した出来事だったけれど、同時に彼らにエレクトロニックミュージックに対する理解と敬意がどれだけあるのかを感じることができて嬉しかったね!俺たちがどこまでやってこられたのかが分かったし、自分たちの知識をシェアするという点でこれは非常に重要だ。そして勿論日本人の皆さんにお礼を言いたい。Rolandの303や808が無ければテクノは生まれていなかったってね。

過去に訪れた国で日本以外に素晴らしいと思ったのはどこですか?

ペルーはかなり凄かった。殆ど儀式に近い形で喜びを表現する姿は、色々見てきたと思っていた自分ですら驚いた。でもソウルや台北も面白かった。あっちのクラブカルチャーは間違いなく盛り上がってきているよ。2年程前はトランスのビッグネーム位しかプレイできなかったけど、今は沢山の小さなクラブでテクノもかかるようになっているからね。

最近は経済危機が取りざたされています。DJとしてその影響を垣間見ることはありますか?

俺が行く場所ではみんなパーティーを楽しみにしているから、答えはノーだ。でも中堅のDJにとっては少し不利な状況になっているかもしれない。何故なら遊び方が変わってきたからだ。客はお金を全く使わず、そしてDJが誰だろうと気にしないタイプか、ビッグネームを楽しむタイプのいずれかだ。ドイツではそんなに問題になっていないけれど、イタリアやスペインでは誰がメインゲストなのかが大きな影響力を持っている。新しいアーティストやDJをサポートしたいと思っている人には難しい状況だ。

それについてのあなたの見解は?

プロモーター同士は常に競い合っている。特に南ヨーロッパではクラブが自分たちでブッキングを行うことは少ない。殆どがプロモーターを使って、客を集めようとするし、プロモーターは有名なアーティストを抱えたいから、彼らに高額を払うようになる。そしてここでかかった経費はエントランスで回収するわけだ。エントランスが高ければ高い程、クラブの中でドリンクを飲まなくなる。こうなると、最終的にプロモーターは儲かるが、クラブは損をするという状態になる。クラブのオーナーとしては、この問題は長期的に見ていかなければならないだろうと思っている。

Words / Eike Kuhl
Translation / Tokuto Denda
Published / Monday, 05 December 2011

Photo credits /
Header - Hannes Windrath
Black and white - Michel Mees
Time Warp Holland - Luke Garwood


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