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Rolando: 9 to 5
Rolando: 9 to 5

現在はスコットランド・エジンバラに住むRolandoにスコットランドでの生活、Berghainでのプレイ、そしてUKファンキーについてRAが訊いた。

Rolandoはハードワーカーだ。しかも、9時から5時までの労働時間を律儀に守るタイプの。そんな彼が手掛けたテクノ史上に燦然と輝くクラシック"Jaguar"—この曲が世界中で爆発的に拡散していく様は、彼にとって驚きであったに違いない。彼が少しづつ自身のキャリアを形成していく過程において、「元Underground Resistanceのメンバー」という肩書きは比類の無い栄誉であると同時に、ある種の足枷でもあったのかも知れない。栄誉とはもちろん、その肩書きのおかげで音楽制作を続ける事ができ、DJとして各国をツアーできることを指す。そして足枷とは、そうしてツアーで訪れる街の先々で彼が"Jaguar"をプレイすることを期待あるいは強要されることを指すのだ。しかし、年月を経てRolandoはそうした栄誉や足枷からもうまく抜け出した。いまではスコットランドのエジンバラでリラックスした生活を送り、Berghainでレギュラーとしてプレイし、さらにはContaktの"Not Forgotten"のようなUKファンキーのリミックスを手掛け新しいオーディエンスさえ獲得している。彼はシーンを去ったわけではなかったのだ。それどころか、今の彼はよりリラックスしてより良いDJ/トラックメイカーとしてここにいる。

僕もデトロイトへは何度か行ったことがあるけど、デトロイトにプエルトリコ系の人たちがあれほど多く住んでるってことは行ってみるまで分からなかったよ。

実際に一番多いのはメキシコ系だけどね。ラテン系ではメキシコ系が一番多い。デトロイトの市内南西部にはメキシカン・タウンもあるし。どっちにせよ、デトロイト市の全人口から見たらヒスパニック系の人口は微々たるものさ。まあ、旨いメキシコ料理が食べたいと思ったら市内南西部に行くべきだね。

あなたのお父さんはミュージシャンだったんだよね?

そう、親父は凄くいいミュージシャンだったよ。どんな楽器でも手にした途端に弾きこなすことができるような人だった。俺にも親父の半分でもいいからそういう才能があればよかったのになって思うよ。

じゃあ、音楽は君が子供のころから身近な存在だったんだね。

うん、間違いないね。メキシコの音楽は当たり前のように家の中で流れてて、近所に遊びに出ればメキシコやプエルトリコ、キューバの音楽がそこら中に溢れてた。ラテン音楽は常にそこにあったし、俺にとっての血であり肉でもあるのさ。さらに言えば、俺が少年期を過ごした'70年代後半から'80年代って時代はディスコの後期とニューウェーブ、エレクトロニックミュージックがみんなクロスオーバーしてた時代だったろ。いい時代だったなと思うよ。あらゆるサウンドが新鮮だったよね。

DJを始めたのはいつだったの?

最初にターンテーブルやミキサーを揃えたのは1987年だったよ。

あなたのお父さんのように楽器を手にするかわりに、ターンテーブルを選んだのは何か理由があったの?

親父が生きていれば、確実に楽器のほうへ向かっていたと思う。実際、俺より年長の兄貴や姉貴たちはみんな楽器をやっていたしね。俺の親父は俺や弟がまだ幼いころに亡くなってしまったから、俺と弟には親父から楽器を習う機会が無かったってわけさ。なんでDJを始めたのかって話に戻ると、もともと俺はミュージシャン的視点で音楽に触れていたわけじゃなかったんだ。で、1986年にJeff MillsがまだThe Wizard名義でDJをしていたときにパーティで彼のプレイを聴いたんだ。文字通り俺はブッ飛ばされて、即座に「そうだ、これこそ俺がやりたいことなんだ。俺はDJになりたいんだ!」って思ったのさ。

そうすると、最初はJeff Millsのようなスタイルを参考にしていたの?

いや、それはずっと後になってからだね。DJを始めたばかりで最初からThe Wizardみたいなミックスをやるなんて無理な話だよ。あり得ない。まずは自分のテクニックに自信を持てるようになるまで練習した。それでも、心のどこかではJeffのミックススタイルが目標にあったと思う。Jeffが今のデトロイトのDJたちに与えた影響はすごく大きいよ。あの滅茶苦茶クイックなミックスやトリックをはじめ、いろんな部分でね。

Metroplex's 10th Anniversary party in Detroit, October 1995.
先日Claude Youngにインタビューしたとき、彼は「ロングセットでプレイすることが多いヨーロッパのDJに比べて、デトロイトのDJは大抵45分くらいのセットしか与えられない場合が多い。だからデトロイトのDJは沢山のレコードを矢継ぎ早にミックスするんだ」と言ってたんだ。デトロイト独特のクイックミックススタイルが成立した背景には、彼が言うような理由もあったと思う?

たぶんそうだろうなと思うよ。でも、俺はDJを始めた最初からデトロイトのテクノシーンにどっぷり浸かってたわけじゃないんだ。俺の場合はちょっと違ってて、最初にDJを始めた頃は近所のパーティでプレイしてたんだ。そういうパーティでは1人のDJがかなり長い時間プレイすることが多くて、だいたい俺と弟でずっと一晩DJしたりしててさ。あとは何人か友達がやってきてはちょっとだけレコードをかけたりとかね。そんな感じだったから、最初にデトロイトのテクノやハウスのパーティでプレイするようになった頃は驚いたよ。「たった5時間のパーティで15人もDJがいるのかよ!?一体どうなってんだ?」ってね。たしかに、45分間ってセットは短すぎると思うよ。1時間できればラッキーって感じだったもんな。

テクノやハウスをかけ始まる前は、どんな音楽をプレイしてたの?

最初は初期のヒップホップ、エレクトロから始めた。あと、デトロイト南西部で当時人気のあったラテン・フリースタイルも。当時はテクノやハウスのレコードはそんなに持ってなかったけど、Ralphi Rosarioの"You Used to Hold Me"みたいなレコードは俺にとってビッグな存在だった。でも当時はヴォーカルの入ってないレコードをかけるとフロアにいる人たちは「おい、いったいどうなってんだ?ヴォーカルはいつ入ってくるんだよ?」って感じになってさ。テクノやハウスのレコードをかけたいって思っても、よほど慎重にかけるタイミングを見計らわないといけなかったんだ。俺がちゃんとしたテクノやハウスのパーティに行くようになったのは'90年代初めから中期の頃だったんだけど、お客さんがみんなインストのテクノやハウスで一晩中踊ってるなんて光景は最初は信じ難かったね。俺にとって大きな変化だったよ。

Underground Resistanceのメンバーと知り合ったのはそれからすぐのことだったんだよね。その出会いのきっかけとか、彼らから学んだことは?

Mike Banksをはじめ、James Pennington、James Stinson、Andre Hollandといった人たちからは本当にいろんなことを学んだよ。あのSubmergeの古いビルの中には常にいろんな人が出入りしてて、常にそこでは何かが起こってた。たとえ平日火曜の午後3時みたいな時間でもね。俺はそれこそスポンジのように様々なことを吸収したよ。Submergeはまさにテクノの中心と言うべき場所だったね。スタジオでMikeたちと一緒に居て、自分自身がオープンであれば自然と彼らからアドバイスが得られたり、自分になにができるかが分かるんだ。俺にとってはもの凄いインパクトだったし、あそこで得られたものは一生忘れることが出来ないよ。

君は"Jaguar"についてはもうさんざん訊かれてきたと思うんだけど、ひとつだけ訊いておきたいことがあるんだ。Sonyが"Jaguar"を盗作カヴァーしたレコードをリリースするって話を君自身が最初に聞いたのはいつだったの?

最初に知ったのは、誰かがSubmergeにプロモ盤のレコードを送ってきた時だった。もうその時点ではすでに製品がプレスから上がってる状態だったんだ。Mikeから「スタジオに来い」とだけ電話があって、呼び出された理由も分からないままSubmergeのスタジオに行ってみると、彼が憤然としてるんだ。そのプロモをかけて「畜生、奴らはもうこれをプレスしちまったのか!」ってみんな悔しがったのを憶えてる。すごくショックな出来事だったよ。

エジンバラに引っ越したのは'00年代中頃だったよね?奥さんも一緒に引っ越したの?

そう、もともと彼女はエジンバラに住んでたから、俺がそこへ引っ越したってかたちだけどね。

それまで君はイギリスでは何度もプレイしたことがあったと思うけど、いざ実際に引っ越すとなると大変だったんじゃない?

いや、そんなことはなかったよ。最初にエジンバラでプレイしたのは1996年頃だったんだけど、それから何度かDJで行くたびに1ヶ月か2ヶ月ぐらいはエジンバラにステイしてたから、すでに馴染みがあったんだ。それに、いまや俺の仕事の大部分はヨーロッパだから、エジンバラに引っ越してからはわざわざ週末ごとに大西洋を飛行機で行き来する苦労の必要は無くなったよ。




「フィッシュ・アンド・チップスにビール、ウィスキー、キルト、それにバグパイプ。
他に要るものなんて無いだろ?」




君がそこまでエジンバラが気に入った理由って?

理由はたくさんあるよ。この土地が持つ歴史や建築は素晴らしいしね。ここに住むようになってずいぶん経つけど、街を歩いていると今でも観光客みたいな気分になる時があるよ。ミュージアムもあるし、古城もあるし、雄大な死火山もあるし、フィッシュ・アンド・チップスにビール、ウィスキー、キルト、それにバグパイプもある。他に要るものなんて無いだろ?もちろんデトロイトとはまったく違う街だけど、この街には素晴らしいものが溢れてる。まあ、ここ特有の天気には慣れが必要だし、それだけが唯一の難点だけどね。ここはとにかく雨が多いんだ。デトロイトほど寒くはないんだけどね。

ここ数年、君はBerghainでプレイすることが多く、ほとんどホームのようになっているけど、君のサウンドがこれほどうまくBerghainにハマっている理由は何だと考えてる?

うーん、自分ではよく分からないな。というのも、俺がBerghainでプレイする時は毎回違うことを試しているからね。今だから言うけど、2006年に初めてBerghainでプレイしたとき、俺は少しナーヴァスになってたんだ。その日はBerghainが今の場所に移転して2周年のバースデイ・パーティで、俺にとっても久々のドイツでのプレイだった。ミニマルがブームだった時期のドイツでは、俺が呼ばれる機会はなかなか無かったからね。ドイツではみんなミニマルを期待してるんじゃないかと思ってて、俺のスタイルが受け入れられるかどうか不安だった。でも、いざBerghainでプレイしてみると、俺のいつも通りのやり方でレコードをプレイすればみんなすごくエキサイトしてくれるってことが分かったんだ。そうして、俺はBerghainのレギュラーになったってわけ。今でも3ヶ月か4ヶ月に1度は必ずプレイしてる。パーティは毎回素晴らしいし、俺も自分がかけたいレコードを好きなようにプレイできてる。ハウスセットをプレイしようと、Berghainスタイルのハードなテクノセットをプレイしようとちゃんとお客さんがついてきてくれるからね。

Berghainでプレイするようになってから君自身のサウンドも変化したと思う?

うん。Berghainではもう何度もプレイしたけど、あそこでプレイするようになって以降、俺自身の内部にも確実にインパクトがあったと思う。Berghainでプレイしに行くと、BerghainはもちろんPanorama Barでも凄いDJたちが一緒にプレイしてて、彼らからもいつも良いインスピレーションを貰ってる。彼らがかけるレコードを聴くだけでも「すげえ!」って思うもんな。Berghainではプレイしてる時間もそうじゃない時も刺激に溢れてる。このインパクトは確実に今の俺の制作アプローチにも影響を与えてくれてると思うし、今の俺のサウンドを形成してる要素のひとつだと思う。

さっき2006年のBerghainのバースデイ・パーティが久々のドイツでのプレイだったって言ってたけど、ヨーロッパでのプレイ自体もその時が久しぶりだったの?

いや、ドイツが久々だったってだけの話だよ。それまでもヨーロッパの他の国では定期的にプレイしてたよ。それまでドイツだけは俺に国境を閉ざしてるのかって思うくらいプレイする縁が無くてさ。今じゃこれだけ頻繁に訪れるようになってるから可笑しい話なんだけどね。

制作はいまどんな感じ?

いたってハッピーだよ。制作に対しては毎回違う方法でアプローチするように努めてる。今回のレコードはこの方法でやったから、次のレコードは違う方法を試してみよう・・・って感じでね。今でもこうして音楽を作ることが出来て、それを求めてくれる人たちがいるってことは凄く幸せなことだと思うよ。今年はすでにリミックスをいくつか手掛けたけど、これから今年中にリリースされる予定のものもいくつかあるから、今はそれに取りかかってるところさ。音楽を創るってことはほんとにエキサイトできる作業だし、そうやってエキサイトできることこそが大事だと思うんだ。「やらなきゃいけない」って考えるんじゃなく、あくまで「楽しもう」って姿勢でいようってね。そうすることで達成感も得られるしね。そうやって出来上がったレコードを他の誰かがプレイしてくれるってことも最高に嬉しい。我ながら、プロダクションという点に関してはいい状態でいられてると思うよ。すごくハッピーだね。

In London with James Priestley at secretsundaze.
今年君が手掛けた作品のおかげで、新しいリスナーも獲得しているよね。とりわけ、ContaktのようなUKファンキーのレーベルにリミックスを提供したという点でね。君のサウンドはUKファンキーともすごく親和性が高いと思うんだけど、その一方でかつて君はダブステップがなんなのか全く分からないとも言ってたけど。

そうそう、俺はダブステップもUKファンキーも全く分かってなかった。去年ニューヨークから来たContaktのクルーと会って、彼があるトラックを聴かせてくれたんだ。その時はそれがUKファンキーと呼ばれるものだとは知らなかったんだけど、俺はそれを一聴して、確かにファンキーだと思った。単純に俺もこのスタイルをやってみたいと思ったんだ。Contaktは確かにUKファンキー、もしくはダブステップのレーベルとして認識されてるけど、俺にはそういうカテゴライズはどうでもいいんだ。こうやって従来と違うジャンルの一部に絡むことが出来るのは良い事だと思うよ。そのおかげで新しいオーディエンス、クラウド、DJとも出会えるわけだしね。

最近のシーンで面白いなって思うのは、シーンの垣根が無くなってみんなオープンマインドになりつつあるところだよね。ちょうど'80年代のデトロイトがそうだったように、あまり閉じている感じが無くなったというか。

いいね!それこそが健全なアプローチってもんだよ。音楽に壁なんてものは必要ないんだ。そのアイデアが不透明だったり周りから「狂ってる!」なんて言われるようなものであったとしても、自分がやりたいと思った事をやるべきなんだ。やった者勝ちなんだからな。

Translation / Kohei Terazono
Published / Wednesday, 12 October 2011

Photo credits /
At secretsundaze - Antony Price


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