その後のことは、周知のとおりである。そのデモに収録されていた彼のヒット曲 "Groove La Chord" は、テクノの最も有名なアンセムのひとつとして後々まで記憶されることとなった。この曲は、印象的なメロディーに対するBrikhaの好みが伺えるパーフェクトな一例である。とは言え、すぐにいい結果を出したという意味では、彼のディスコグラフィーの中では異例の曲だ。「このチャンスを無駄にしている暇はなかった。僕は友達が来るのを待ちながらも、このトラックに取りかかってたよ。実は、デートだったんだけどね。彼女は、ストリングスなんかの音が使ってある僕の別な曲を前に聴いたことがあったんだけど、『あら。これはちょっと違った感じなのね』って思ってるみたいだったよ。彼女に15分間待っててもらって、それでぼくはテープにライブで2回録音したんだ。」とBrikhaは言った。
Brikhaはスタジオでは完璧主義者であり、決して無理強いをしない。行き詰まりを感じたら、単純に制作を止めるのだ。これはつまり、作品のクオリティが落ちることはめったにないということだが、リリースとリリースの間にしばしば時間が空くということでもある。彼のファーストアルバム『Deeparture in Time』が2000年にリリースされた後、次のリリースまでには3年を要した。それから、次の12インチが出るまでにはさらに2年がかった。そして、2007年にたくさんのレコードがリリースされた後、再びしばしの沈黙。そして、昨年の終わり頃ごろ、Brikhaは戻って来た。(と、言えるだろう。)もしDerrick MayのTransmatレーベルでリリースが決まっていなかったら、きっと1998年に設立されていたであろう彼自身の新しいレーベルは、アルバム『Deeparture in Time』 の2枚組リイシューに先駆けて、アルバムの収録曲のリミックス・パッケージをリリースした。
彼の最初のEPとレーベルの名前である "Art of Vengeance"というフレーズはBrikhaにとってとくに意味のあるものだ。「これは暴力的な意味じゃなくて、ネガティブなエネルギーをアートに昇華させるっていう意味なんだ。そのわりに、僕の音楽は決して怒りをあらわにしないっていうのは、おかしな話だけどね。作ってる途中でなにかが起こってるんだろうね。僕はおそらく、たくさんの怒りを抱えてると思うよ。うん、それは確実さ(笑)。」と彼は語る。「世の中は不公平だっていうことから、食事がまずいっていうことまで、怒りの種類はいろいろなんだけど。数年間、ぼくは力強いビートの曲を作ろうと試みてたんだけど、結局いつもストリングスを使った曲になっちゃうんだよ。」