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Boys Noize: Don't believe the hype
ベルリン在住のDJ・プロデューサーAlexander Ridhaのインタビュー。ハウスやグラフィティ、Raster Notonがどのように彼の最新作に影響を与えたかについて語る。
影響力のあるどのアーティストと同じように、Alexander Ridhaの過去(と現在)には、見かけでは分からないものがある。例えば、彼の幅広いディープハウスの知識は、生まれ故郷のハンブルグでの夜遊びの経験が土台になっている。また、デビュー後たった一年で自身レーベル「Boys Noize」も立ち上げている。そして、現在成功の階段を駆け上がっている彼は、今年のSonar festivalでヘッドライナーを務めることも決定している。
ハンブルグでディープハウスを聴きながら育ったみたいですね?
そうなんだ。80年代後半に俺がまだ子どもだったころ、兄がTrax Recordsの初期のレコードを全部持っていたんだ。当時それがハウスだとは知らなかったけど、そのテンポやリズムだ好きだった。それから13〜14歳ぐらいになったときにレコードを買い始めて、DJもやりだした。Underground Solutionというハンブルグにあるレコードショップでも働いていたこともある。そこはおそらく北ドイツで最も影響力のあるハウスミュージックのショップだった。そこで働き始めたのは1997年ぐらいのころで、当時はForce Inc.のIan Pooleyのレコードや、アメリカのディープハウスをいろいろとたくさん聴いていたかな。
ハンブルグはハウスミュージックの都のようですね。
そうだね。ハンブルグは、ベルリンと比べると完全に異なる音を持っている都市。そこでは本当のハウスミュージックが流れていて、ディープなものからクールなもの、そして90年代終わりにかけてあまり好きではなかったdiva stuffもあった。ベルリンはテクノ系だよね。ハンブルグでテクノ系はTunnelというナイトクラブしかなくて、テクノというよりはトランスって感じかな。
なぜ最初、テクノに対して抵抗感があったと思いますか?
初めて知ったテクノはシュランツだったんだけど、そのときはUnderground Resistanceのこととか知らなかったから、シュランツがテクノだっていうイメージが強くて、あの速くて機械的な音が嫌いだったんだ。
初期のころ、特に影響を受けたDJはいますか?
あまりいなかったけど、DJ Hellかな。Gigoloレーベル時代はすごくよかったし、彼はレーベルが大きくなっても新しいことに挑戦しようとしていた。まわりのDJがプレイしている曲はかけていなかったし、常に一歩先を行っていた。新しいモノをプレイするDJセットって理想的だね。
あと、2many DJsを初めて聴いたときもすごく衝撃的だった。レコードさばきやマッシュアップがとても速かった。似たようなことをやりたいと思ったけど、手が4本ないからできなかった(笑)。
「みんなを興奮させることは簡単だけど、
なにか新しいことをするのはより大変さ」
以前あるインタビューで、ファンを教育しようとしたところ、難しかったと言っていましたが、どういうことでしょうか?
おかしく聞こえるかも知れないけど、いまのこのシーンで足りていないものはカルチャーだと思うんだ。俺がDJをした数年前、みんながみんなプレイしているトラックを知っているという感じではなかった。レコードショップに通って、もっと音楽を掘り下げて知って欲しいんだ。
とてもオールドスクールですね。
そうだね。たぶん自分が過去12年間、毎週レコードを買い続けているからなんだと思う。俺の人生の大きな部分を占めているね。買い始めたのはそれが一番かっこいいと思ったから。友達はみんなヒップホップやラップを聴いていて、ハウスを聴いていたのは俺だけ。「おまえゲイなの?」ってよく言われたよ。でもハウスは俺にとって特別な存在で、聴いていて最高だった。レコード以外に友達はいないって思ったりもしていたよ。いま思うのは、フェスティバルに参加するDJの多くが観客を興奮させようとがんばっているんだけど、それより一歩身を引いてプレイして欲しいっていうところかな。みんなを興奮させることは簡単。スクーターにはみんな興奮するよね。問題は、なにか新しいことをするということがいかに大変かっていうこと。
新しいことということですが、以前インタビューで、周りの人があなたが2〜3年前にやっていたことが頂点を極めていたというふうにとらえていることを、どう思うか話していましたね。
正直なところ、2年前に限界に達したと思ったけど、プレイし続けたんだ。そのころは、「もうこれは終わり」と言えば、その曲をプレイする必要はなかった。でもいまは音楽があまりにも簡単に手に入る時代になったから変わってしまったんだ。DJの多くは以前のようにDJしていない。昔は発売された音楽のプロモーションなどはプレイしなかった。
コマーシャル的なDJはいつもいたけど、そういうスタイルがだんだん影響力を持つようになってきているんだ。「そういうやり方だとだめだ。同じレコードや、別のプロデューサーが作った同じスタイルを何回もプレイしたりしたらだめだ」って思ったりもするけど。どのジャンルの音楽でも同じようなことが起こっていると思う。
フェスティバルの話は興味深いです。いままでたくさんのDJと話してきましたが、彼らの多くは、大きなイベントのときには普段とは違うレコードをそろえるそうです。ある程度の規模になると普段とは違うようにプレイしないといけないみたいです。ある程度人気のDJになると、別の期待感やプレッシャーがあるんだと思います。そういう状況でプレイすることが面白いんですよね。
俺は結構過激で、2〜3年前に初めてアメリカのSXSWフェスティバルでプレイしたときのことなんだけど、一番最初にかけたのがByetoneのAlva Notoのリミックスで、次にかけたのがSoundhackの "Devils Run" だった。もしLAの大きなフェスティバルでプレイするなら、「みんながプレイする有名レコードだけをプレイするわけには行かない」と考えるけど、もちろん俺もDJのはしくれだから、観客とも楽しい時間を共有したい。独りよがりのプレイはしたくない。
あなたのスタジオついて教えてください。アナログ機材もいくつか持っていますよね?
アナログ機材はたくさん持っているよ。大きなアナログスタジオさ。ローランドのシリーズはほとんど全部持っているんだ。16歳からスタジオで制作を始めて、Juno106やNord Lead、Virusとかを使いながらね。当時はデジタルとアナログのミックスだったんだ。サンプラーもたくさん使っていたし、フィルターハウスも作っていた。TR-808は本当に始めのころに買ったんだ。ギグを多くやるにつれ、収入も増えて機材も増えていった。古いモノも新しいモノもたくさん持っているよ。
他よりもたくさん使っている機材はありますか?
ローランドは、1〜2年使わない時期があっても、それから101や909を使ったりもするし、エレクトロンみたいな新しいモノにもいますごく興味がある。エレクトロンは最新機材も含めて全部持っているよ。最新のやつはすごくいい。MFBみたいなドイツのブランドの機材もたくさん持っているよ。MFBは本当にモジュラーの音がするから好きなんだ。MFB503はすごいドラムマシンで、Gonzalesのアルバムで使ったよ。難しすぎるからモジュラーシステムにはまだそこまでのめり込んでいないんだけど、MFBは本当にすごい。
Gonzalesのアルバムの話が出ましたね。Spank Rockとコラボレーションをしたという記事も読んだことがあります。新しいことに今後もっと挑戦する予定ですか?
そうなんだ。いまたくさんのことを試していて、テクノ系のトラックも最近いくつか作ったし、Robert HoodのレーベルやOstgut Tonとなにかできるかも知れない。それをBoyzNoizeとしてなのか、他の何かとしてかはわからないけどね。
あなたの最新アルバム『Power』にある"Rozz Box"はBerghainにハマると思います。
そのトラックはRaster Notonにかなり影響を受けて作ったモノなんだ。全部好きで、すごい音なんだ。Alva Notoはすばらしいね。
彼とのコラボレーションを考えたことはありますか?
もちろん。連絡を取ったこともあるよ。俺はコラボレーションしたいけど、彼はどうか分からないな。

とても興味深いです。sine waves を使っているAlva Notoと、Justiceみたいな誰かが作るノイズはコネクションがありますよね。
そうだね。つまり結局は音なんだよね。Justiceのレコードでも、Alva Notoのレコードでも。どういう風にその音が作られたかなんて気にしない。でもそれらが合わさっていままでにない音が生まれたらすごいことさ。
「Boys Noize」の名前の由来はなんですか?
それが思い出せないんだ。どこからか盗った名前だと思うんだけど。いつもグラフィティをやっていたから、いつも実在しない名前のことばかり考えていたんだ。かっこよく見える文字の組み合わせだよ。
若いころにグラフィティをやっていたんですか?
そう、主にタグをね。「これが上手い奴らで、これが下手な奴ら」って見ればすぐ言えるよ。
あなたはどちらだったんですか?
もちろん、下手な奴らではないよ(笑)たくさんタグをやっていたよ。
それはハンブルグだけでですか?最初のころに言っていたヒップホップなどを聴いていた友達たちとやっていたんですよねきっと。
その通りさ。そのときのカルチャーかな。俺はいつも他の仲間より少し過激だった。Boys Noizeの名前を思いついたのもそのころだったと思う。当時は結構攻撃的な性格をしていて、怒っていたというわけではないんだけど、もうすでに何年もドイツにある全部のクラブでいろいろな名前でDJをしていたから、みんなを倒したかったというか。「これが俺のやり方だ」みたいな感じで。実際はポジティブなエネルギーだったと思うよ。
いまでも同じ様なエネルギーを持っていますか?
2年前にたくさんやっていたレーベルの仕事みたいに他のことをたくさんこなしていると、だんだんそこからそれていくんだ。たくさんのくだらないことに巻き込まれていたよ。いまはビジネスパートナーがいるからクリエイティブのことだけに専念できているんだ。でも毎日アーティストとは新しいことについて話しているし、5〜8年前みたいに音楽を作ることだけに没頭していたときとは違うんだ。いまの音楽に対してはとても強い感情を抱いている。俺の音楽はいつもリアクションなんだ。
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Translation / Hidetaka Furuya
Published / Wednesday, 23 February 2011
Photo credits /
Live at Metropolis, Montreal- Karel Chladek
Header and graffiti - Paul Clement
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